その後サンタモニカ・ビーチに行って付近を散策し、時間になったのでファーマーズ・マーケットまで車を走らせる。ケビンは道をよく知っているので本当に助かる。着いてみると金曜の夕方のせいで駐車場はどこもいっぱいで、やっとのことでスペースを見つけ車を降りた。多くの買物客の間を縫ってライブが行なわれる「ウェスト・パティオ」を目指してどんどん歩いていくケビンに付いて会場に到着して驚く。「こんな場所でやるの?」
たとえて言えばイトーヨーカドーなど大型スーパーのファースト・ フード・コート。プラスチックのイスとテーブルで子供連れの若い母親がハンバーガーなどを食べている場所。それ自体は別にいいのだけれど、ウェイン・クレイマーのライブを行なう会場としてはあまりに庶民的な、あまりにロックとかけ離れた雰囲気に、何か自分が落ちぶれたような、誇りを傷つけられたような、情けない気持ちを味わう。夕方近くなので買い物に疲れた客で席はかなり埋まっていた。ビールを片手にケビンと腰を降ろしたテーブルの前には、娘と思しき中年女性に伴われた80歳くらいの老婆が座っていた。ウェイン・クレイマーのオーディエンスとしてはこの人がこれまでで最高齢だろうなあ・・・と私はぼんやり考えた。
バンドのメンバーはドラムを除いて昨年ベイクド・ポテトでジョン・シンクレアのライブを務めた時と同じ顔ぶれだった。あの時のドラマーはブロック・エブリーだったが今回は、アルバム 「アダルト・ワールド」 に参加し、アダルト・ワールド・ ツアーにも同行していたエリック・ガードナー。演奏を始める前にウェインが簡単に自己紹介する。「MC5というバンドにもいた」という意味のことを述べると小さな拍手が起こる。

そして演奏が始まり、そして愚か者の私はこの時点でやっと全てを理解した。このライブはファーマーズ・マーケットで行なわれなければならなかったのだ。

ウェイン・クレイマーがアメリカの一般大衆に仕掛けた、それはゲリラ攻撃だった。

「パリが爆破された日」を歌い出すウェイン。この曲は彼が1998年にエピタフからリリースした最後のソロ・アルバム、LLMF にのみ収録されている曲で、 1993年2月のニューヨーク世界貿易センタービル爆破事件、1995年7月にパリで起きた地下鉄内爆弾テロ事件、1996年7月のスリ・ランカのデヒワラ列車爆破事件及びアトランタ・オリンピック記念公園爆破事件など、世界中で起きた爆弾テロを歌った歌である。私たちの後ろに座っていた女性がおびえたように言うのが聞こえてきた。「ねえ、この人、ここも爆破されるかもしれないって言ってるの?」

続いて「約束の地で破られた約束」。作詞はミック・ファレン。
「リー・オズワルドはどこだ?
今こそヤツが必要なのに」

リー・オズワルドは、 ジョン・F・ケネディ大統領暗殺の単独実行犯として逮捕された男。
護送中にダラス警察の地下でジャック・ルビーによって射殺された。
聴衆の中からブーイングが起こる。

これでいい。表向きは「フリー・ジャズの夕べ」。でも目的は人々に考えさせること。 一般のアメリカ人に問題を投げかけること。
前の席の老婆に付き添っている女性が振り返って私に尋ねた。「この人、有名な人?」

私は黙って着ていたMC5のTシャツに印刷された若きウェイン・クレイマーの写真を示した。

40年の歳月を経て、MC5のスピリットはウェイン・クレイマーの中で不滅だ。
闘うことを今も止めないエヴァー・ファイティング・ソルジャー。
音楽ファンの間で一定の知名度を確立したミュージシャンのどれだけが、ファンではなく、敢えて自分を知らない100人足らずの聴衆の前に立ち、社会を変革しようと訴えるだろうか。
ブーイングどころか殴られることさえあるかもしれない。
このフリー・コンサートで主催者からウェインに支払われる出演料は恐らくスズメの涙だろう。それでも彼は人々に呼びかけるために、ひと夏に
3回もこのフード・コートにやって来るのである。
この日他に歌われたのは、労働者の団結とシンパシーを歌うBack When Dogs Could Talk や Shining Mr. Lincoln's Shoes、アルコール中毒からの脱却を歌う No Easy Way Out、そして数年前に失意の私を支えた Great Big Amp など。以前「意義のある歌を歌いたい」と語っていた言葉そのままに、セットのほとんどがシリアスなメッセージを持つ曲だったが、秀逸な演奏に聴いている人々は魅了され、歌詞の内容に耳を傾ける。買物の疲れを休めに何の気なしに腰を降ろしたら、目の前で何だかわからないけれどヤケに上手いバンドが、びっくりするような内容の曲を演奏し始めたのだ。

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