2012年2月17日、カリフォルニアのチコでマイク・デイビスが亡くなった。肝障害で入院してほぼ1ヶ月だったという。68歳だった。

C型肝炎を発症していることが判明した後インターフェロンによる治療に入り、2005年6月には 「インターフェロン・ファニー・ガイ」 というブログを立ち上げ、闘病生活を赤裸々に綴っていたマイク。しかし発病後もミュージシャンとしての活動は全く減速することなく、DKT/MC5のツアーには必ず参加するかたわら、若手バンドのプロデュースやコラボレーションにも精力的に取り組んでいた。そんな中、2006年5月にはバイクの事故で負傷。その事故をMC5 Japan上で当時私はこんな風に伝えていた:

  • 5月8日、L.A. のハイウェイをハーレーで飛ばしていたマイクは、走行中の他の車から外れて進路に入ってきたバンパーを避けきれずに転倒。ヘルメットとレザー・ジャケットを着用していたため致命傷は免れたが、背骨を骨折、肋骨挫傷、数カ所に擦傷を負った。C型肝炎という重病と闘いながらハーレーをブッ飛ばすマイケルは60歳。事故に遭ったのは気の毒だけれど、ちょうど同じ頃南の島のヤシの木から落っこちて手術を受けたキースに比べると・・・ロック!!

私が初めてマイクと言葉を交わしたのは2003年3月、ロンドンの100クラブでリーバイス社がスポンサーとなって行なわれたDKT/MC5の再結成公演の時である。ライブ終了後のごった返す狭い楽屋の中で、レミーを押しのけるようにその前を素通りして人をかき分け、マイクの昔のバンド「ルミナリオス」のCDにサインを貰いに行ったのを記憶している。ロック・ベーシストのクールが服を来て歩いているようなマイクのカッコいいたたずまいは感動的だった。可愛らしい夫人のアンジェラともそこで出会って連絡し合うようになり、ロサンジェルスのデイビス家には2回お邪魔した。マイクは口数は少ないが、温かい雰囲気のとてもリラックスした人だった。闘病中にも関わらず、2006年10月には音楽活動の他に Music Is Revolution という NPO を創立。公立学校における音楽教育促進のための基金を募っていた。

上の写真は2006年6月、バイク事故から間もない頃、日本のアパレル・メーカー、ヒステリック・グラマー社がデストロイ・オール・モンスターズをフューチャーしたブランドを立ち上げたのに伴い、招待されて来日した折に青山で撮影したマイクとアンジェラ夫妻。彼と会うのはこれが最後となってしまった。マイクが出演しているオフィシャルな音源で最後のものとしては、2008年6月にロンドンで開催されたメルトダウン・フェスティバルにおいてボーカルにウィリアム・デュバル(ex-アリス・イン・チェインズ)を迎えたDKT/MC5がプライマル・スクリームと共演したライブを記録した "Black To Comm "がある。2011年11月リリースのCD2枚組+DVDで、日本ではMSIから出ている。DKT/MC5で行なったライブとしては屈指の名演。

これでMC5生存者は2名となってしまった。本当に悲しい。60年代にMC5のベーシストとなって以来、疾風怒濤の人生を歩んだエヴァー・ファイティング・ソルジャー、 マイク・デイビス。心よりご冥福をお祈りします。

2012年2月19日