スヴェンガリー・ミュージック ホームページより抜粋
Excerpts from the Svengirly Music homepage. Used by permission of Jamil Ahsan (webmaster) and Svengirly Music Inc.
MC5後の マイケル・デイビス Michael Davis
MC5後の生活について:
30年だ、長かったぜ!1971年か72年にイギリスでMC5から放り出され、俺はデトロイトに帰った。失業し自暴自棄を繰り返し、サツに捕まってブタ箱に入れられるまでそういう状態だった。1年くらい入ってたね。
で、1976年だ。ミシガン州のアン・アーバーに舞い戻ってたら、キャリー・ローレンってアーティストが、もとストゥージズのロン・アッシュトンといっしょに訪ねてきた。奴らはハイ・エナジーな実験的ポップ・アート・ロックンロールをやるバンドを結成しようとしてた。美人の女性アーティストがいっしょで、彼女はマリリン・モンローのデビュー作にちなんで「ナイアガラ」って名乗ってた。で、ベースを弾かないかって誘われたんだ。その後7年間、俺はデストロイ・オール・モンスターズに在籍した。
1985年にモンスターズを脱退し、数年間盛り場で騒ぎまわるだけの生活をしてたが、急に思いついて今住んでるアリゾナ州ツーソンにやって来た。その頃までにはMC5もオール・モンスターズも全く過去のこととなり、俺の人生からは完全に姿を消して、バック・ミラーにはその影も形も映らなくなってた。
てわけで、1987年に俺はアリゾナの砂漠から第2の人生を始めたわけだ。その後4,5年は多少ジャム・セッションに参加したり、いわゆる練習バンド、つまり練習を重ねるけれどギグを行う機会は永遠に訪れないってバンド、そういう奴らとやってた。そしたら始まったのさ。90年代の初め、「ポンプ・アップ・ザ・ボリューム」って映画の中でキック・アウト・ザ・ジャムズが使われたんだ。ブラック・フラッグのヘンリー・ロリンズがボーカルをやってるバッド・ブレインズってバンドがカバーしたのさ。「ジャムズ」のカバーをやるバンドが続々と現れた。ポイズン・アイデア、ブルー・オイスター・カルト、モンスター・マグネットとか、たくさんのバンドがな。つまり俺は間違ってたんだ。俺が消えたと思ってた過去が、またどんどん近づいて来たんだ。その一方で食ってくためには働かなくちゃならなかった。10年間俺はもの凄く過酷な肉体労働に従事したんだぜ。排水溝を掘ったり、灌漑設備の敷設とか、車体工場で車の修理をしてたこともある。建築現場でも働いたしトラックの運転手もやった。そういう仕事は全て、生活費を稼ぐことはできたけれど、すさんで荒れた生活だった。したいことと違うことをしているという事実が黒い雲みたいに日に日に重くのしかかってきた。それで仕事仲間に時々、自分の過去を口にしてしまうようになった。だが、奴らにやっかまれたり、いっしょに働くには高級な人間過ぎるみたいな感情を抱かれないように、俺は慎重だったよ。自分でもそんな風には思ってなかったし。
MC5のドキュメンタリー・フィルムについて:
1999年だったと思うが、シカゴのフューチャー・ナウ・フィルムズって映画の撮影クルーがツーソンまでやって来て、「MC5/実証」ってタイトルのMC5のドキュメンタリーで俺が出る部分を撮影した。MC5はクタバらなかったのさ!
現在の活動について:
今現在は、ニューヨーク・ドールズの再来、ザ・スター・スパングルズとジーン・ビンセントのカバーを録音する準備をしてる。それが済んだらケンタッキーに行って、ザ・ソールダット・ブラザーズとMC5スタイルのライブと録音を行うことになってる。その後は、ドールハウスってスウェーデンの凄いバンドとスタジオ入りする。それからエル・パソを中心に活動してるザ・ハッピネスってサイケデリック・バンドがあるんだが、そいつらのレコードのプロデュースを頼まれてる。こういう一連の事全ては、「ザ・レネゲイド・パーティー」(「異端者たちのパーティー」)って、例の3月にロンドンでブラザー・ウェイン・クレイマー、デニス・マシンガン・トンプソン、レミー、デイブ・ヴァニアン、イアン・アストビューリー、ケイト・オブライエン、ニッケ・ロヤールで録音したCD/DVDのリリースと時を同じくして起こることになってる。
それから付け加えておきたいんだが、最近伴侶に恵まれ結婚したんだ。砂漠に広くていい牧場を買って、彼女の子供達と2,3頭の馬といっしょに住んでる。あんなに荒れた最低の生活をしてた自分がこんな幸福に恵まれるなんて、ほんとに夢みたいだ。
リーバイス・ヴィンテージ・シャツとのタイアップに関して:
MC5時代から俺達はいつだってこういうハメに陥ってきたわけだが、この件は大きな論争を巻き起こした。何かをやってもやらなくても、どのみちクソミソに言われることになってるのさ、俺達は。30年前と何も変わらんね。今回だって俺達全員、こういうことになるってわかってたんだ。文句があるなら好きなだけ言うがいい。だが今回はこっちも覚悟があるぜ。俺の考えはこうだ。
リーバイスはリーバイス社の利益を考える。俺達は俺達の利益を考える。ファンはMC5が見たい。だから得するのは誰だ?全員さ!
みんな同じだ、俺も食ってくために働かなくちゃならん。40年も前にちょっと名が売れたバンドをプロモートしようなんて奴はザラにはいないぜ。何にでも代価は払わなけりゃならん。あいつらはたまたま服飾ビジネスをやってて、たまたまイギリスにオフィスがあって、ってのもヨーロッパ人の趣味はアメリカ人と違うから、で、奴らはある企画を思いつき、自分らがデザインした服の雰囲気とMC5の「スタイル」がマッチすると考えたってことなんだ。単なるビジネスなんだよ。だが俺にとって決め手になったのは、奴らのデザインが気に入ったってことだ。カッコいいと思ったんだよ。グリムショウのアートはすばらしかったし、いろんな偶然やタイミングが一致して、奇跡が実現したんだ。だが最高にすばらしかったのは、俺達3人、ウェイン、デニス、マイクがタイマツを掲げて再び集結したってことだ。俺達みたいにプレイできる奴らはいないし、すでに俺達のファンである人間だけじゃなく、今まで一度もMC5を聴いたことのがない人たちにもファイブの音楽を聴いて欲しいと思っているんだ。批判を受けるのは予測していたが、最終的にファンを優先するのは当たり前だろ?自分たちにできることがあるのにそれをしないのは正しくない。どういうわけか、俺達は再び呼び出されたんだ。今度こそ自由の鐘を鳴らしてやるつもりさ。
影響を受けたミュージシャンについて:
俺のアイドルは昔から一貫してモータウンのセッション・ベーシスト、ジェイムス・ジャマーソンだ。彼の伝記を読んだが壮絶な内容だった。とてつもなく悲劇的な男だ。にもかかわらず、彼はソウルを発明したのさ!尊敬するプレイヤーは他にもいる。レイ・チャールズ、オーティス・レディング、ブライアン・ウィルソン。それ以外にも大勢いる。俺の人生の師は実はミュージシャンじゃない。ホッケー選手のテリー・ソーチャックって男だ。それからレフト・バンク。あのバンドはものすごく好きだったね。70年代には何も考えてなかったね。イギリスでパンクがブレイクして、ファッションや音楽のスタイルが変わったのは知っていたが。そのうちラモーンズが現れてそれを全面的にアメリカ風に造り変え、そしてアンダー・グラウンド・ロックがもの凄いエネルギーで一気に爆発したんだ。その後80年代の初め頃に、ディスコード・レコーズのハードコア・バンドや西海岸のオルタナティヴ・テンタクルズ・レーベルのスケボー・パンク・ハードコア・バンドなんかが、信じられないほど斬新な音を、それこそ毎日のように発表していった。本当にすばらしい時代だったね。あのムーブメントに俺やMC5がルーツとして関わっていたなんて、全くスリリングだね。ああいうバンドが「MC5から全てが始まった」って言ってるんだぜ、感動するよな!
デトロイトについて:
今はもう住んでるわけじゃないが、デトロイトは俺の故郷だ。こういう言い方を理解してもらえるかわからないが、あの町には「ソウル」があるんだよ。デトロイトで生まれ育った者だけが知るソウルがな。すばらしいバンドが次から次へと輩出されるのはそのためさ。新しいインスピレーションがどんどん湧いて出る町がデトロイトだ。誰にもそれを止められない。
ギアについて:
ギアの話をするのは好きだよ。68年にロリポップ・チューニング・キーがついたフェンダー・ジャズ・ベースを手に入れた。アンプはマーシャル200ワットのベース・ヘッドで、ボックスは15インチのエレクトロボイス SRO を搭載した手作りのTB1だった。今弾いてるのは63年のヴィンテージモノのフェンダー・プレシジョン・ベースと66年のフェンダー・Pベースだ。アンプは SWR 400 で、それからシングルの Hartke 4x10のキャビネットを持ってる。この間フェンダーのホームページを見たんだが、1966年以来俺の人生にフェンダーのギターがいかに大きな役割を果たして来たかを実感して、感激して涙ぐんじまったよ。
結び:
革命 (Revolution)? 再進化(Re-Evolution) の方が俺は好きだね。
|