鳥井氏によるジョンの簡単な略歴紹介の後、公開インタビューの開始。60年代、政治とロックが必然として結びついていった経緯や、MC5にマネージャーをクビになったいきさつなどが時代を追って説明された。60年代に多くの青年を魅了した説得力ある語り口は健在だ。

自分たちの革命は挫折したとあっさり認めていたのが印象に残った。が、特に悔やんでいる様子もなく、弁解もせず、「満ち足りた人生だった」と淡々と語るジョンは、かつて法と闘った者が、40年の歳月を経て今では法を超越し、消費生活から解放されて自由に生きていることを感じさせた。

通訳をはさんでの対話であるせいもあって時間が押してきてしまい、先に進もうとする鳥井氏を制止し、「まだ終わっていない、話しておきたいことがある」と、悠々と順を追って説明していくあたりはさすがの貫禄。最後は自作の詩1編を読んだが、スポークン・ワードの歌を聴くような、すばらしい朗読であった。

終了後、1時間半にわたるトーク・ショーをオーディエンスが最後まで熱心に行儀よく聴いていたことにジョンは驚いていた。私には当たり前のことに思えたが、欧米のオーディエンスというのはあのような場面で90分間じっと集中して座っていることができないのであろうか。

世界は変えられるという信念を持ってヒッピーたちが起こした運動は結果的に挫折したと言わざるを得ないけれど、反体制の思想を理念としてではなく、実際に行動で示したジョンのような人間の口からその闘争のヒストリーが21世紀の若者に口承されることの意義は大きい。

私は無礼な若者が嫌いだが、敢えて目をつむることにしている。傲慢は若さの特権だから。が、「個人の自由でしょ」という決まりきったフレーズでうそぶく彼あるいは彼女が、自分が今当たりまえに享受しているその「自由」は、既存の価値観を覆し世界変革を試みたシンクレアのような人間たちが、60年代に警察の暴力を受け弾圧されながらも為政者に立ち向かった、その結果として徐々に浸透し勝ち取られたものであるという「歴史認識」を持っているかいないかということは、重要な分岐点だと思うのである。その意味で、今回THC並びに藤本氏による理解を得てシンクレアが来日し、彼が「起こったこと」を証言するのを直接聞く機会に恵まれたことは、貴重な体験であった。

2008年8月
ジョン・シンクレア来日レポート完