2008年6月、ジョン・シンクレアが初めてアジアの地を踏んだ。トーキョー・ヒップスターズ・クラブで開催されたイベントに招待されたのだ。

トーキョー・ヒップターズ・クラブ -- THC -- は、日本の巨大アパレル・メーカー、株式会社ワールドが2005年10月原宿に出店したコンセプト・ショップである。大企業が東京の一等地で運営するレッキとした店舗なのだが、店内企画をプロデュースしているディレクターの藤本真樹氏は、ここを新ミレニアムのオルタナティブ・カルチャーで活動する反体制分子やアウトロー、トーキョー・ネオ・ヒッピーのアジトにしようとしているらしい。山口冨士夫やミック・ファレンらを招いて開催された2005年のストア・オープニング・イベントのあり得なさは衝撃的であったが、その後も若い世代に反逆のスピリットを伝え、メイン・ストリームのアートや音楽に一石を投じる数々の企画と展示を行ってきた。そして今回、アメリカのカウンター・カルチャー闘争における頂点とも言える年、「1968年」をテーマに、MC5のマネージャーであったジョン・シンクレアの証言から時代を再考するというイベントが開催されることになったのだ。

ジョンが成田に到着したのは梅雨まっただ中の6月27日。たった2泊3日の旅である。60年代にはマリファナ使用自由化を求めて闘った彼だが、現在は大麻が合法化されているオランダ在住である。着いた夜は鳥井賀句氏とのインタビューが入っていた。新宿のホテルで待ち合わせたロビーに現れたジョンは、くたびれた黒い革ジャンの下に2005年のサン・ラー・アーケストラとDKT/MC5のコンサートに際して作られたTシャツを着用、素足にサンダルという出で立ちで、4年前にロサンジェルスで会った時よりだいぶ体重が落ちたようだった。(後で聞いたら食生活を管理するようになったら痩せたらしい。)長身の飄々とした風貌。60年代ヒッピーが齢を重ねて枯れたボヘミアンになったという風情でいい感じである。インタビューの前に寿司店で会食。共通の知人の話に花が咲く。日本を訪れてしばらくした後、デトロイトに帰省するそうで、たった1人の幼い孫娘に再会するのを大変楽しみにしているようだった。

近くの喫茶店に移動し、鳥井氏とのインタビューはおよそ1時間で終了。翌日は藤本氏と明治神宮に出かけるとのこと。天気が心配されたが、3日間の滞在期間中、雨に見舞われたのは日本出立の29日朝だけだった。

イベント当日は開演約1時間前に到着した。すでに人が集まり始めている。入場無料だが予約制。どのくらいの人が訪れてくれるのか不安だったが、最終的には立ち見が出た。

1階の店舗では書籍、CD、DVD、TシャツなどのMC5商品も販売されている。
THCには3階に居心地よいカフェがあり、案内されるとジョンはそこのテラスで藤本氏、鳥井氏、そして3年前のミック・ファレン来日時に通訳してもらったのが縁で今回もお願いした通訳者の井上さんと談笑していた。ジョンは「ラジオ・フリー・アムステルダム」というストリーミング・ラジオ局に自らDJを務める番組を持っているのだが、その録音をするからと、その場にいた全員が突如立場逆転で出演者にさせられてしまい(英語)冷や汗。
(後列左から:藤本真樹氏/ジョン/井上さん/鳥井賀句氏)

2階に降りてみると会場はまだ準備中だった。壁に掛けてあるのはレニ・シンクレア撮影の写真で、MC5の写真は見慣れたものが多いが、トランス・ラブ・エナジーのコミューンを撮影した数枚の他、MC5とストゥージズがエレクトラとの契約書にサインした際に関係者全員で撮影した1枚や、1968年シカゴ民主党大会を組織した活動家アビー・ホフマンやジェリー・ルービンのスナップ写真、1971年12月にジョン・シンクレア・フリーダム・ラリーを組織したジョンとヨーコ・レノンの写真など、稀少な作品も含まれている。

MC5関係のビジュアルと言えばファンにはレニの写真が定番だが、今回はMC5のお抱えポスター・アーティストだった、ゲイリー・グリムショウによる作品の展示・販売も行われた。THCとしては展示に際してオリジナルにこだわりたかったところだが、グリムショウ本人に連絡してみると、本人は自分の作品の原版を1枚も所有していないことが判明。

ゲイリー・グリムショウ製作のポスターと言えば、サイケデリアの希少なアートとして現在は市場価格1枚50万円〜100万円で販売されているにも関わらず、作者はオリジナルを全て手放してしまっていた。「しかし私にそれらを買い戻す財力はないのだ」と、半ば自虐的ともいえる文面のメールが返ってきた。で、グリムショウ氏はどうしているかというと、自分の作品を所蔵しているコレクターたち1人1人に連絡を取り、一時的にそれらを貸し出してくれるよう頼み、デジタル・コピーを取り、それを複製して販売しているのである。今回会場に並べられたのもそれらデジタル・コピーだが、かつてグランディ・ボールルームを飾ったこれらの美しいロック・コンサート・ポスターが額装されて手頃な価格で手に入るのはすばらしいことだと思った。

MC5を単なるバンドではなく、MC5を率いてポップ・ミュージック・シーンの中に切り込んでいってやろう。ロック以上の存在としてブラック・パンサー党の支持というのを明快に打ち出して、ベトナム反戦というのも高らかに宣言しよう。MC5の音楽を通じて、消費社会に対して、単に受動的な消費者として音楽を消費するだけではなく、このような運動に参加しているのだよ、という気持ちを若い人たちに植え付けたい .... このような壮大な夢が僕の中にはあったのです。

Translated by Yusuke Inoue