6月17日、大統領選たけなわの深夜、ワシントンのウォーターゲート・ビルにある民主党全国委員会本部で5人の男が逮捕された。盗聴器を取り付け、資料をコピーしているところを発見されたのだ。彼ら全員がニクソン大統領の再選委員会のメンバーだったため、ホワイトハウスとの因果関係が取りざたされた。しかし同年ニクソンは民主党候補ハンフリーに圧勝し、再選された。
翌年、逮捕された5人の裁判が続く中、裁判長ジョン・シリカは主犯格マッコードからの書簡を受け取る。そこには当該事件がホワイトハウスによって仕組まれていた事が暴露されていた。ニクソンはそのような事実を否定したが、同年6月にテレビ放映されている上院公聴会において、大統領法律顧問、ジョン・ディーンはニクソン政権高官が全てを知っていたこと、さらに事件発覚後、その隠ぺい工作をニクソンが承認したことを全米国民の前で証言し、大統領の犯罪を決定的なものとした。しかもこの年、ニクソン政権はもう一つのスキャンダルで打撃を受ける。副大統領のスピロ・アグニュ−が脱税と収賄の容疑を認めて辞任したのである。アグニュ−こそ、ニクソン政権下でカウンター・カルチャー・ムーブメントに対する弾圧を強力に押し進めた人物であり、MC5にとっても「天敵」だったのだ。後任にはジェラルド・フォ−ドが就任した。
ニクソンは、ベトナム政策によって失った同盟諸国の支持を取り戻し、中ソとの関係も改善して、国内秩序と信用の回復を謀る。そしてついに73年1月、ベトナム停戦協定に調印した。
74年7月、大統領弾劾を審理していた下院司法委員会は、司法妨害、権力乱用、議会侮辱の3つの項目で弾劾採決をした。8月、追い詰められたニクソンは自ら辞任し、議会の弾劾裁判で解任される事をかろうじて免れた。アメリカ史始まって以来初めて、任期途中の大統領が辞任したのである。副大統領フォードが直ちに大統領に就任し、1ケ月後ニクソンに対して恩赦の措置を取りこの事件は落着した。
75年4月29日、サイゴン陥落。南ベトナム政府は崩壊し、25年間続いた戦争はアメリカ合衆国の敗北で終わった。
ベトナム戦争がアメリカ国民の精神に深い幻滅を与えたのと同じくらい、ウォーターゲート事件は200年の歴史を持つアメリカ民主主義に大きな汚点を残した。アメリカ国民は大統領に対する信頼を喪失し、また強大な権力をもつ行政府が伝統的な三権分立の民主政治を脅かす危険性が実証された。さらに、国家の安全保障を理由に前例のない強大な圧力がワシントン・ポスト誌に加えられていたことが発覚し、政府が言論の自由までも脅かしていたことが明らかになった。自由と平等の国という建国以来の理想を政府がいかに蹂躙していたか、ベトナム戦争の敗北による傷も癒えないアメリカ国民に、ウォーターゲート事件はさらに重大な精神的打撃を与えたのである。
ジョン・シンクレアやMC5らが標榜した反政府と反戦の思想は、かつて中高年の平均的アメリカ人には理解不可能で同意できるはずもない理念だった。しかし、71年のペンタゴン白書、続く72年のウォーターゲート事件、そしてベトナムでの敗北は、カウンター・カルチャーの思想が決して単なる「青春の暴走」ではないこと、醜悪な陰謀がアメリカを支配しているという現実を一般のアメリカ国民に知らしめる結果となったのである。
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