アルバムのリリースを受け、バンドはウェスト・コーストへのプロモーション・ツアーに出た。シンクレアが企画し、費用もバンド側の負担であったこのツアーは、大失敗に終わる。ウェスト・コーストのヒッピー達に、彼らは全くウケなかったのだ。ヒッピーが好んだのは、宇宙や自然と対話するための軽いサウンドだった。工場地帯から現われたMC5のメタリックでへヴィーで、そしてとにかくラウドな音楽は彼らにとってほとんど脅威であり、そのあまりのエネルギーにヒッピー達はただ唖然とするばかりであった。グレイトフル・デッドをはじめ、ウェスト・コースト出身のバンドもファイブとのジョイントを拒否するようになる。
ホワイト・パンサーに対する政府の弾圧もさらに激しさを増していった。ホワイト・ハウスはホワイト・パンサー党のプロパガンダを読み彼らを「ロックンロールで青少年を腐敗させ、可能な方法全てを用いて社会転覆を謀ろうとしている分子」として位置付けた。そしてニクソン政権の司法長官ジョン・ミッチェルは、FBI長官エドガー・フーバーに対し、MC5というバンド及びホワイト・パンサー党を阻止せよという要請を発動したのである。
大ヒットとなったアルバム「キック・アウト・ザ・ジャムズ」でさえ、バンドを破滅に導く引き金になってしまう。原因は、タイトル・トラック "Kick Out The Jams" 冒頭の一言、タイナーが聴衆に向かって呼び掛けた "motherfucker" だった。この単語が1969年当時のアメリカにおいて、どの程度のインパクトを持っていたのか?あるウェブサイト上で読んだファンの回想によると、彼は母親の前で "Kick out the jams, motherfucker!" と言ったとたんに激しい平手打ちを食らったという。
初回プレス分のLPにはこの言葉がそのまま入っていた。エレクトラの社長ジャック・ホルツマンが「過激でウケるからこのまま使う」と主張したからである。躊躇したのはむしろバンドの方だった。ちょうど同じ頃レニー・ブルースが「猥褻」であると社会から激しく糾弾されており、それと同様の窮地に陥ることを避けたかったのだ。削除しないまでも、彼らは何かオーバー・ダブすることを要望した。しかしホルツマンは考えを変えることなく、結局そのままリリースしてしまう。その結果、彼が予想していたのをはるかに越える大きな社会的批判を呼び起こしてしまうのである。父兄からは抗議の電話が殺到し、大手レコード店はこのLPの販売を拒否する。
エレクトラは手の平を返したように急きょバンドに対し、"motherfucker" を "brothers and sisters" に入れ替えた「クリーン・バージョン」との差し換えを打診してきた。このバージョン、"Kick out the jams, brothers and sisters!" は、もともとシングル盤及びラジオ放送局用に録音され配給されたもので、グランディでのライブ録音にロブがマイナーなダブを加える作業を行っている最中、エレクトラのスタッフが言葉巧みにロブを丸め込んで録音させたのである。(しかし皮肉なことに、ラジオ局はかえってセンセーショナルな表現の方を歓迎し、クリーン・バージョンが放送されることはほとんどなく、DJは競ってオリジナル・バージョンの方を流したのだった。)そして、修正を要求するエレクトラに対し、MC5側は結局これを承諾してしまうのである。この時の妥協に関して後年デニス・トンプソンはあるインタビューで「非常にまずい決断だった。でも俺たちは若かった。」と語っている。ファイブは、ファンやコミュニティーのメンバーから「主義主張を曲げた」という誹りを受けかねない危険な決断を下したのだった。そして事態はさらに悪い方向に展開していく。
問題はロブが叫んだ "motherfucker" だけではなかった。見開きジャケットにはシンクレアの筆による政治的スローガンに満ちたライナーノーツが印刷されていたが、"motherfucker" という言葉はその中でも 使用されていたのである。そのためエレクトラは、バンドに通告することなく更なる改ざんを行う。ウェスト・コーストツアー中に、サンフランシスコにあるエレクトラの販売代理店に立ち寄ったシンクレアらは、会社側がロブの叫びを入れ替えただけでなく、シンクレアのライナー・ノーツをそっくり削除してしまったことを発見する。バンドにはもう手のほどこしようがなかった。これら大幅な改ざんはファンの非難を買い、反政府の姿勢も革命もウソで、有名になってカネをもうけたかっただけだと批判され、この時点で多くのファンが離れていった。しかもこうした修正にも関わらず、状況は好転するどころか結局キック・アウト・ザ・ジャムズを流通させた卸が逮捕されるという事態にまで発展するのである。
4月、猥褻性を理由にこのレコードの販売を拒否した大手スーパー、ハドソンズに対し、バンド側はローカルのアンダーグラウンド紙に "Fuck Hudson's!" の広告を出す。そしてハドソンズの窓という窓に同じメッセージを記したポスターを張り付けた。この広告にはエレクトラのロゴが使用されていたため、ハドソンズはキック・アウト・ザ・ジャムズのみならず、エレクトラの他のレコード全ての販売も中止してしまう。これがエレクトラの逆鱗に触れ、ついに1969年4月16日付でMC5との契約は破棄された。こうしてMC5は「品行不良」を理由にメジャー・レーベルを叩き出されたロック史上最初のバンドとなったのである。この時点でファイブはエレクトラからの2枚目のレコーディングのため、プロデューサーのブルース・ボトニックと共にロサンジェルスのスタジオに入っていたが、録音は直ちに中止された。バンドはその後マイアミ・ポップ・フェスティバルに出演するはずであったが、フロリダ州当局から「フロリダ州に1歩でも足を踏み入れたら逮捕する」と通告され、予定をキャンセルしてデトロイトに戻った。
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