敬愛するサン・ラー・アーケストラとの共演の感動を綴った今回のクレイマー・レポート。2005年2月にロンドンでDKT/MC5として彼らと同じステージに上がった時にも、その興奮とラーの音楽に対する情熱をレポートNo.25 に書いているが、今回はウェイン・クレイマー個人としての共演である。ステージ上で彼がどのように感じ、実際に演奏したかが述べられていてとても興味深い内容となっている。また、文中「C型肝炎患者支援慈善番組に出演した」とあるのは、マイク・デイビスがこの病に冒されていることからこうしたボランティアに加わっているのだろう。


クレイマー・レポート No. 29(2006年8月23日)

俺が音のサイエンティストになった夜

この世ならぬその世界に
かれらは住まう:音のサイエンティストたちよ
調べと音により
多くを語る者たちよ・・・
音のサイエンティストたちよ
規律の平面を建築し
その数学は寸分たがわぬ
音のサイエンティストたちよ

(サン・ラー)

先週ブラジル人パーカショニストのエルソン・ナチメントから電話があり、マーシャル・アレン指揮のサン・ラー・アーケストラと共演しないかという。彼らはアーサー・フェストの土曜日のトリだった。「アーサー・フェスト」っていうのは、アーサー・マガジン主催で毎年ロサンジェルスで行なわれる4日間の音楽フェスティバルだ。

興奮したかって?控えめに言っても身震いするくらいわくわくしたね。俺は長年サン・ラーと彼の陽気な銀河探検バンドの音楽を崇拝してきたし、それは今も変わらない。

1960年代、彼らがESPからリリースした「サン・ラーの太陽中心世界」やその他のレコードで俺は初めて彼らの音楽に触れた。それらの作品に加え、ジョン・シンクレアがデトロイトにあるウェイン州立大学内のコミュニティ・アート公会堂で行なったコンサートにサン・ラーとMC5をブックし、彼らと共演したことで俺のその後の人生における音楽観が一変したんだ。

その後数年間、MC5はアーケストラとコンサートで共演し続け、俺はサン・ラー本人と多少の時間を共に過ごす機会に恵まれた。アート、音楽、文化に関する彼の考え方には大きな影響を受けた。近年MC5に対する関心が高まったことで、アーケストラと再びロンドン、ニューヨーク、ロサンジェルスで共演することができた。

サン・ラーやグループ結成当時のメンバーの一部はすでに土星に旅立ってしまったが、バンドは天才マーシャル・アレン指導のもと宇宙旅行を続けている。現メンバーの多くは長い間在籍しており、結成当時のスピリットは全く失われていない。

だからエルソンから電話をもらった時は、自分の過去と未来の間の5次元空間に招き入れられたような気がしたんだ。

公演会場に着くと、俺が着ていたトラディショナルなダーク・スーツとネクタイのことで気軽な楽団員の数人からからかわれた。俺が今関わっているユニット、「レキシントン・アーティスト・ワークショップ・アンサンブル」のメンバーとして、C型肝炎患者支援慈善番組に出演し、テレビ局のスタジオから直行で到着したところだったんだ。

彼らの言うところによれば、アーケストラとステージに立つためにはそれなりの宇宙的衣裳を身につけなければいけないという。オーケイ。俺は喜々として濃いブルーのラメ入りローブを羽織り、それに合うヘッドウェアをかぶった。

どの曲で加わるべきかをマーシャルに尋ねると、答えは「全部やりなさい。ただし何が起こるかわからないからそのつもりで。」これは長い間の俺の生活態度と一致していた。それをこの時尊敬する導師の一人からあらためて伝授されたんだ。準備はできているかと?この日を生涯待ち続けていたのさ!

楽屋でトランぺッターのフレッド・アダムスからサン・ラーが作曲して彼らに残していった音楽の話を聞いた。未だ録音されていない膨大なマテリアルのほんの表面をやっと引っ掻き始めたところだという。マーシャルは、多くの楽曲を抱えているにも関わらず、それを演奏する時間がわずかであることのジレンマを語った。

ステージに出る前に皆で集まって抱き合ったり祈ったりするミュージシャンは多いが、俺はそういうタチじゃない。だがこの時ばかりは、加わらないかと誘われ誇りを感じて参加した。宗教的な儀式じゃない。自分たちが何者か、これから何をしようとしているのかを共に認識し合う祈りなんだ。つまりオレたちは今から、「この世界を、この地球を、そして他の全ての天体をより良くする」ための音楽を創作しようとしていて、みんなが「サン・ラー」なんだと。

アーケストラのメンバーたちとステージに上がった。アーティストとしてこれほどの誇りを感じて仕事をしたことはかつてなかった。

広大な音楽だった。楽曲形式の内と外を行きつ戻りつしながら演奏した。いくつかの曲は基本的な16部音符・II-V-Iのコード進行だったが、他は余りにも難解で、試みる事さえ不可能だった。俺はベーシスト、ジュイニ・ブースの隣に立ち、彼の楽譜からいくつかの変化を読み取ることができたが、しばしばあまりに速く激烈な展開についていく事ができなかった。他の曲では難解で深淵な宇宙のグルーヴに捉えられ、全力を振りしぼり必死でプレイした。

この種の演奏というのは非常な集中力を要する。後になって手首が痛み、そのことを痛感した。マーシャルは寛大にも俺にいくつかのソロを弾かせてくれた。「至福」そのものだった。むろん合間に「フリー・ミュージック」と呼ばれる音楽が奏でられる時もあった。実際には「フリー」というのは誤った呼び方なんだ。この形態で自分がいつどのように演奏するかというのは「自由」とはほど遠い。そこには規律があり、自由ではあり得ない。それこそがサン・ラー哲学の核を成す原理でもあった。

演奏者を導きつつそれらの曲を演奏して行く上で、マーシャルは申し分のないバンドリーダーだった。何をどうしたいか、彼は非常に明晰で自信に溢れている。アーケストラはプレイし、踊り、歌い、聴衆は全ての瞬間を楽しんだ。

アーケストラのギタリスト、デビッド・ホテップはコードの達人だ。俺も必死でついていこうとしたが、まるで彗星を掴もうとするようなものだった。

トロンボーンのデイブ・デイビスはバリトン・サックスのレイ・スコットと共にセットの全てを通じて音楽に対する大きな情熱を示した。ドラマーのルクマン・アリはいつもと変わらず、天文学的正確さでバンドを導いた。最後の音はマーシャル・アレンとテナー・サックスのヤヤ・アブドル・マジドの間で陽気に交わされた。気がつくと1時間30分も演奏し続けていた。戻る時刻だ。天体から天体へと宇宙を旅し、大きな満足とともに地球に帰還した。

時々、これよりすばらしいことはあり得ない、という瞬間が訪れる。

アーケストラのウェブサイトをチェックしてくれ。
San Ra Arkestra Home

ウェイン・クレイマー
2006年10月23日 ロサンジェルスにて

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