前回のクレイマー・レポートから1ヶ月しか置かずに書かれた今回のレポート。アメリカでは情報操作によってほとんど報じられることのなかったこの大規模反戦集会に関する情報を、いち早く正確に伝えたかったのだろう。参加者の人数をインターネットでチェックしたところ、日本の各紙は「10万人」あるいは「15万人」と報道していたから、ウェインの目測は正しかったことになる。日本ではブッシュ寄り小泉政権が圧勝したばかりだが、ここに書かれているブッシュ政権による陰謀のスケールには驚かされる。それにしても、自分の周囲に少なからずいるアメリカ人は、在日・在米を問わず1人残らず反ブッシュであるのに、大統領選で彼が当選したというのは理解に苦しむ。


クレイマー・レポート No. 27(2005年9月28日)

皮肉な考えと葛藤する。

偏りのない幅広い態度で物事に接すること、そして全ての要因を把握するまで 安易に結論に飛びつかないこと。こいつはいつだって難しい。周りの世界を理解しようとする時、俺は自分の能力を過信し過ぎるからいけないんだろう。確かに俺はエゴイストだから。それに、えてして最悪のシナリオを思い描く傾向がある。

だが時々、その最悪の事態が現実になることがある。

適例:

ワシントンDCからロサンジェルスへ戻る機中でこれを書いている。途方もない規模で行われた反戦集会と反戦コンサートに参加してきたんだ。途方もない規模、ってのはこの場合15万人の参加者を意味する。俺は過去、大規模な群集を数多く見てきたから、大体の人数をかなりの正確さで推し量ることができる。 DKT/MC5の活動を始めた過去2年の間に、俺達は10数回のデカい野外ロック・ フェスティヴァルを経験したから、群衆の人数を推測するのはそんなに難しいことじゃない。

2人組のユニット、シーヴェリー・コーポレーションが企画開催したイベント だった。メンバーのエリック・ヒルトンとロブ・ガーザは断固たる態度でこの大プロジェクトに臨んだ。ワシントンに本拠を置く社会正義平和運動の2大勢力、「オペレーション・シーズファイアー」と「ユナイテッド・フォー・ピース・エンド・ジャスティス」を、2人は強いリーダー・シップでまとめ上げた。何か意味のある事をするにあたって、個人の力がいかに大切かをそれは示している。民主主義と同じように社会正義にも個人レベルの参加が不可欠だ。そうやって世界を変えていくんだ。1人の男(あるいは女)が、ある考えを持って前に歩み出る。彼が歩み出ると他の誰かが「おまえが戦うなら俺もお前のそばで戦うぞ」って言 う。すると別の1人が歩み出て「俺も」って言う。そしてあっという間にダイナミックな力が結集される。

先週末、アメリカ合衆国の首都で起こったことがこれだった。大企業のスポンサーもいない。当然MTVなんか来ない。スティングも、ブラッドも J-Low もいない。有名ミュージシャンもハリウッドの大スターもいない。アンダーグラウンド のアーティストが企画したんだ。ほとんど誰も聴いたことがないバンドが参加してプレイした。プレイできたからだ。アルバムのセールスを上げるのに役立つからとか、イメージ宣伝になるからじゃない。メインストリームの外にいるバンドや演説者が立ち上がったんだ。すばらしかった。そしてスコット・ グッドスタインと彼の友達のアダム・アイディンガーという2人の若者が、シーヴェリー・コーポレーションの寛大な協力を得てそのイベントを実現したんだ。

参加した全てのアーティストがそれぞれ何かユニークなことを行い、音楽のスタイルやフォームは集まった群衆と同じように多様だった。ベルレイズの輝くばかりにすばらしくパワフルなパフォーマンス、スウィート・ハニー・イン・ザ・ロックの美しいハーモニー、ヘッド・ロックのクレイジーなビートとリズム、ザ・クープの強烈なヴァイヴ。イアン・マッケイは新しく組んだデュオ、ジ・エヴァンスで初出演し、音楽の迫力が音量ではなく、フォーカスによって成し遂げられること群衆に教えた。スティーヴ・アールがたった1人で歌い、シーヴェリー・コーポレーションは夜中に10万人の人々を踊り狂わせた。イベントのレビューを書いてるんじゃないから全てのアーティストに触れることはしないが、信じて欲しい、参加者全員がそれぞれ本当にすばらしいパフォーマンスを行なったんだ。その美しさの根源は、その行為が気高く正しい目的のために捧げられたからなんだ。集まったのはごく普通の市民、戦死した兵士の家族、そしてアーティストであり、政府が犯した誤りを正すために憲法上の権利を行使したんだ。

平和運動家シンディ・シーハンはこの日、聴衆から最も大きな笑いを引き出した。アメリカ建国の祖であるジョージ・ワシントンにちなんで名付けられたモニュメントの陰が群衆の上にさしかかった時、「ワシントンは嘘が全くつけなかった大統領として有名だけれど、現大統領は嘘しか言えない」って言ったんだ。今ではアメリカ国民のほとんどがそう感じている。大統領支持率は現在史上最低を記録している。大部分のアメリカ人がこの戦争を間違いだと信じ、自分達がそこに誤り導かれたと感じている。

俺にとってこの日最も印象的だった瞬間は、ラコタ・インディアン代表の一団がシンディ・シーハンと共にステージに現れた時だった。彼らはサウス・ダコタにあるラコタ・インディアン保留区から3日間夜を徹してワシントンまで車を運転して来ていた。リーダーが群衆に向かって「ラコタは伝統的に勇気を重んじる」と語り、朝の星が1つ描かれた毛布をシンディーのために編んだと言った。毛布には祈りが捧げられ、彼らはシンディーの勇気を称えるシンボルとしてそれを彼女に贈って、それで彼女を包むためにはるばるワシントンにやって来たんだ。そして彼らのまじない師がシンディーと群衆のために歌を歌った。

インディアンたちはイベントに威厳と謙虚さをもたらした。それこそが、俺達があの土曜日に集まっていた理由を支えていたものだった。権力の地位にある人間に、戦争を集結させるよう求めること。若く勇敢な兵士を家に帰すことによって彼らに真の名誉を与えること。

あれは俺の人生の中で、最も力強く、最も感動的な体験の一つだった。

ジェロ・ビアフラがアル・シャープトン司祭からジャーナリストのグレッグ・パラストに至る多彩な人々をマイクの前に招いた。演説者もミュージシャンも、全ての人間がロックし、全ての人間が耳を傾けた。

そのことが俺にある皮肉な思いを抱かせる。

これは非常に重要な、歴史的意義を持ったイベントだった。しかし、俺の頭の中で第2の声が執拗にこう言っている。「この日起こったことを、誰も知る事はないだろう」と。あのイベントが行なわれた事実を知っているのは、あの場にいた参加者だけなんだ。俺は平均的アメリカ人によるこの努力に対する熱狂的な感情と、今日のアメリカにおける実際の政治の状況を比較してみる。アメリカを牛耳る一握りの男(と、数人の女)たちは、ハンパじゃない熱意で奴らがしていることに取り組んでいる。奴らは合法的に、そして(おそらくは)非合法的にも、権力を行使している。民主主義のプロセスには限られた時に限られた形でしか参加できない俺達とは違い、奴らは1日中、1週間24時間体制でそれを行なっている。現在権力を握っている連中は、その画策をそれこそ何十年にも渡って続けてきている。カール・ローヴはまさしく恐るべき敵だ。奴らは力を結集し、さらに権力を拡大していく完全共生システムの組織を造り出したんだ。

飽くなき権勢欲に駆られ、ジョージ・W・ブッシュは、あからさまで、ほとんど聖書中の物語のような執拗さで父親を越えることに固執している。奴の場合、物事を感情的、知的に考えることは不必要であるばかりでなく、障害だ。ジョージ・ブッシュは、1)奴は正しい、そして2)奴に利することだけが唯一、奴の計画を実現する、と盲信することだけを求める。奴は追従に満ち満ちた是認を受けている。キリスト教右派の是認だ。奴らはブッシュこそ自分達のために働いてくれると知っているからだ。そして奴は、中東の政治情勢を武力で塗り替えてしまうイデオロギーを提唱するポール・ウォルコウィッツと奴の新保守主義シンクタンクという頭脳集団に支えられている。

俺は国際政治の専門家ではなく、それに関心を持つ単なる傍観者に過ぎない。しかしこれらのことは全て、アメリカ大統領ウィルソンやイギリス首相チャーチルが、それぞれ第1次・第2次世界大戦後に行なった、民主主義の名に隠れた帝国主義的世界分割の現代版のように思える。中東産原油への依存度を少なくするための努力を俺達は全くしていない。現在俺達はこの戦争の両当事者にカネを払っているんだ。多少の前進があったことは認めるが、イラクで押し進められようとしている西欧型民主主義が、あの国に根付くとは思えない。

結論を急ぐべきではないのかもしれないが、どれくらいの時間がかかろうとも我々は注意深く見守り、援助の手を差し伸べるべきだ -- ただし、トーマス・ジェファーソンが言ったように、「水際から」援助すべきなんだ。求められればもちろん助ける。だが今までのところ求められていはいない。ホワイト・ハウスにいるのは不気味な集団であり、奴らは自分達の個人的野望を達成するために若いアメリカ人とアラブ人の命を犠牲にしているという事実を軽く考えてはいけない。このことにおける人命と金銭の犠牲は余りにも大きい。

俺達が求めているのは、終わりがいつなのかを示す政策を提示して欲しいということだ。このこと全てに終止符を打つ日時を示してくれ。必要があるならその日時に変更があっても構わない。建設業に携わったことのある者なら誰しも、物事は最初に考えたより日数がかかるということを知っている。だが、この戦争が終結するのはいつなのか、もっともな問いの答えを知ることを求める人間に加わらせてくれ。アメリカ・イラク、どちらの側でも、若い命が失われて行くことに大義などない。今こそ勝負を終わらせる時だ。人命を犠牲にしてきたこの戦争の方向を変えるのは容易じゃない。地味な民主主義が必要なんだ。議員に手紙を書け。プレッシャーをかけるんだ。それこそが人民の力だ。

俺の中の皮肉な声がまた言う。これはアメリカ史始まって以来最大の情報操作だぜ、と。奴らは情報を自分達のいいように操る天才だ。事実、そのことをあまりに大々的に行なったために、土曜日に集まった平均的市民でさえ奴らのプロパガンダをもはや鵜呑みにはしなくなっていた。だから、奴らの政策に反対する15万人の群衆を目にして、俺はこの国の情報に飢えている人々に、このニュースは一体伝わるのだろうか、といぶかり始めた。

現在メディア界のボス達と政府の取締担当者はイデオロギーの上では合意しており、それは危険な交差だ。主要なメディア網は、合衆国憲法で保障され要求されている報道の自由よりも、放送ライセンスを守るのに適した政治見解を持つ人間によって運営されている。背筋が寒くなるような事実だ。しばらく前、イギリス国民を驚愕させる事実をあばいたブン屋はこの国にはいないのか?傲慢な権力者を悩ますメディア・マンはどこにいる?報道機関以外の誰が、奴らに本当のことを言わせる?この歴史的イベントの記事はどこだ?

夜中近くにホテルに戻り、C-SPAN にチャンネルを合わせた。(HBO で「ザ・ワイアー」を見られない時には俺がよく見るチャンネルだ。)で、何を見たかって?10万人の群衆が移動した後、ホワイト・ハウス前の演説者スタンドの所に残った12人の人々の映像だ。群衆が全てデモに参加するために出発しちまった後の映像だ。ラルフ・ネイダーだけはいつものように熱弁を振るっていたが、残りの演説者が呼びかけていたのは1ダースかそこらのデモ残留者だぜ。惨めな光景だったし、間違っていた。俺は失望したが驚きはしなかった。C-SPANはこの映像を続く1日半の間流し続けた。このイベントに対して誤った認識を持たせるのが目的だ。

翌日の新聞各紙はその話題を1面の真ん中あたりに追いやり、「数万人」がデモを行なったと伝えた。民放テレビ各社も似たようなもので、街頭にいるデモ参加者を5〜10秒映した後、「我々の軍隊を支持しよう」という人々の映像に切り替えた。わかるか?数十人のブッシュ支持者対15万人の反戦デモだぜ?それがテレビではほとんど同じような規模であるかのように伝えられたんだ。ふーん、「フェアで偏りのない報道」だって?だろうぜ!そして俺の皮肉な思いは辛辣さへと変わっていく。

俺は決して陰謀に被害妄想なタチじゃない。だがニューヨークからの列車がこのイベントの当日「メインテナンス」のために終日運休されたってのは都合がよすぎやしないか?もしあるイベントの参加者を減らしたいなら、そしてその権力を持っているなら・・・この政権がこれまでしてきたことを考えれば、想像がつくというものだ。俺は奴らを信用しない。

俺にとってこの日はすばらしいシュールな瞬間が何回かあったことも事実だ。ステージに出て行く直前の楽屋で、俺の知的ヒーローであるコーネル・ウェスト教授と話ができたこととか、人権/社会正義運動の指導者ジュリアン・ボンドがあいさつに寄ってくれて、昔議会でジョン・シンクレアを擁護するために証言したことを思い出させてくれたこととかだ。肩越しに振り返ると、アル・シャープトン司祭がジェロ・ビアフラに話しかけていて、民主党議員マキシン・ウォーターズがその話に熱心に耳を傾けている。そして俺はベルレイズと共にステージに上がった。

皮肉な考えは頭をよぎるけれど、時々自分の人生が最高だと感じる時がある。

ウェイン・クレイマー
2005年9月

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