クレイマー・レポート No.2 (2001年4月)

まず最初に、ジョイ・ラモーンの早過ぎた死について触れたいと思う。いい奴だった。友人であり兄弟だった。本当に悲しい。生きていれば知り合いの死にも遭遇するが、あるものはとりわけこたえる。49歳なんて早過ぎる。安らかに眠れ、ジョイ。これで自由の身だぜ。お前とその家族のために祈りを捧げるよ。神の加護あらんことを。

ニュース
サウス・バイ・サウスウェストは大盛況に終わった。毎年音楽業界が大騒ぎするこのフェスティバルに参加するため、テキサス州オースチンに赴いた。ベルレイズがルーム・710でギグを行なうというので出かけていった。いつもながらすごい。あまりにパワフルなので形容する言葉さえ失うほどだ。嫌いと好きが分かれるバンドだが、とにかく無視できないのだけは確かだ。

このフェスティバルには2つの目的があって参加した。1つは、業界関係者で組織したパネルの一員として会議に出席し、音楽ビジネスにおける薬物乱用に関して話をすることだった。パネルの他のメンバーは、E!エンターテイメント・チャンネル勤務で、ドラッグとアルコールの問題を抱えるミュージシャンを援助する組織、 「
MAP(ミュージシャン・アシスタンス・プログラム)」諮問委員会委員のデイヴィッド・エイデルソン、テロニアス・モンスターとバイシクル・シーフのボブ・フォレスト、ミュージシャンのヘルスケアをサポートする組織「ミュージケアーズ」のハロルド・オーウェンス、そしてMAPの創立者にして偉大なるジャズ・マン、尊敬するバディ・アーノルドだ。ドラッグとアルコールの問題に関し真剣な討議が行なわれ(聴衆からの非常に積極的な参加も得て)実行可能な解決方法が論じ合われた。満足できる内容だったし、ああいう集まりに参加して俺なりのメッセージを可能な限り発信していくということは、俺自身の更生にとってもいいことなのだ。

もう1つの目的は、俺の新しいプロジェクト「マッド・フォー・ザ・ラケット」のアメリカにおけるデビューだった。俺とパートナーのブライアン・ジェイムスの他に、「満州」出身マニアックのマニ(ベース)と、クリス・ブレンナ(ドラム)が参加してくれた。マニは、このバンドが去年の秋に行なったヨーロッパ・ツアーに引き続き、今回も参加してくれた。実に愉快な奴だ。クリスをドラムに迎えられたのもラッキーだった。ナイン・インチ・ネイルズを脱退して以来、クリス・ブレンナは今をときめく売れっ子ミキサー/プロデューサーだ。しばらくドラムを叩いてなくてウズウズしてたから、マッド・フォー・ザ・ラケットは奴にとって格好のチャンスだったわけだ。そのせいで、凄い迫力の演奏だった。

ギグの会場はアトミック・カフェだったんだが、宣伝しなかったにも関わらず超満員だった。オースチン消防署は客のあまりの多さに消防法上危険だと判断したらしく、俺たちのギグが終わった段階で全員をいったん外に出した。そのくらいすごい人数だったんだ。ラッパーがよく言う、「いいこった!」という結果に終わった。

それから、口コミでしか知らせなかったにもかかわらず、オレンジ・カウンティのクラブ・メサで行なわれたウォーミングアップ・ギグに来てくれたおよそ100人の人たちにも心から礼を言いたい。(クラブ・メサを運営してるクレイグとキャロラインに大感謝だ。彼らこそ真のファンでありホンモノのプロだ。)

一方
俺の本拠地ロサンジェルスでは、ミュージック・ブリッツのスタッフが(マッスルトーン・レコードと共同で)俺がプロデュ―スしたコンピレーション・アルバム 「ビヨンド・サイバーパンク」 のリリースを記念し、サンセット・ストリップにあるキー・クラブでプロモーションのパーティーを行なった。いわば知的なロックを披露する、スタン・リジウェイと彼のバンドがトリ。前座は、ロリンズ・バンドとしてヘンリー・ロリンズのバックバンドを務める俺の友人、マザー・スーペリアーで、とりわけワイルドなウォール・オブ・サウンドでオープニングを飾ってくれた。俺も2番手で出演した。ドラマーには今回初めてエリック・ガードナーが登場、ダグ・ルーンがベース、バック・ボーカルにマーク・ジョンソンという顔ぶれ、しかもスペシャル・ゲストとしてデイヴィッド・ウォズとチャールズ・ムーア教授が出演してくれた。ウォズは、コンピレーション中に入れた奇妙な曲、 "Chow Main Street" を歌った。すばらしかった。ムーア教授の方は、トランペットで音楽の講義をしてくれた。俺と教授の関係は、俺がMC5としてデトロイトで活動していた時代にさかのぼる。アトランティックからリリースされたファイブ最後のアルバム、「ハイ・タイム」に、「スカンク(ソニックリー・スピーキング)」って曲が入っているんだが、教授はそのホーン・セクションを書いた人なんだ。70年代からずっとカリフォルニア在住で、現在はUCLAで音楽の教授をしている。彼のような人間と知り合えたのは幸運だったと思っている。いいギグだった。マッスル・レコードからのリリース第1弾、ビヨンド・サイバーパンクは、幸先のいいスタートを切ったというわけだ。

今後の予定
5月、シルバーレイクのスペースランドで、「リーブス・ガブリエル/ウェイン・クレイマー・カルテット」というギグが毎週日曜日に行なわれる。この1ケ月間の実験的レギュラー出演を俺はとても楽しみにしている。リーブスは、俺がリスペクトする非常に独創的ギタリスを数名をバンドに抱えている。楽しく共演できると思う。

ここハリウッドで間もなくインデペンデント・フィルム・フェスティバルが開催されるが、4月17日には、プラスター・キャスター女史のドキュメンタリー・フィルムの上映があるから興味があれば見て欲しい。彼女たちとのミダラな過去のことで、俺もインタビューされたのが入っている。笑ってくれ。

かねてから多くのリクエストをもらっていたので、エミルはこのサイトに「マヌーバーズ」(「実演」)っていうページを追加した。俺が、いつどこでプレイするかが載ってるページだ。今考えてるのは、俺のギグ・スケジュールの他に、たとえばチャンネル1で4月19日に第1回目が放送された「音楽とその背景:パンクの歴史」で俺がインタビューに答えてる事とか、みんなが興味を抱きそうな情報を告知する場所にしていきたいと思う。

さて、とりあえず俺からのメッセージはこのくらいといったところか。それじゃあ、今年もアメリカかどこかの国のどこかの町で会おうぜ。それからメッセージ・ボードへたくさんの書き込み、ありがとう。


ウェイン・クレイマー
カリフォルニア州ロサンジェルス
2001年4月
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