ウェイン・クレイマーのヨーロッパ・ツアー・レポート完結編。これといった事故もなく、アーティストとして至福の時間を過ごせたようで、メデタシメデタシである。50代半ばの身体にこのスケジュールは確かに凄い。L.A.の我が家に辿り着いたウェイン、きっと爆睡したことだろう。本当にお疲れ様でした。


クレイマー・レポート No. 17(2003年6月27日)

フィナーレ

ヘルシンキに到着、ホテルにチェックインして直ちに仕事に取りかかる。今回のツアーは全般的にメディアに大きく取り上げられていて、今朝もフィンランド最大手の新聞の第1面に俺達の記事がデカデカと載っていた。あの記事を掲載するために、一体何本の樹木が切り倒されなければならなかったのか。

数件のインタビューを終え、サウンド・チェックを行うため今晩ギグを行うクラブに行き、そこで俺のフィンランド人兄弟分とも言える男、マルカス・ノーデンストレングに会う。マルカスこそ創作活動万能のオールラウンド・アーティストだ。音楽に関する執筆活動を行うかたわら、ラジオのDJ、卓越したシンガーであり、優れたソング・ライターでもある。俺達はさらに、ちょっとイカれた弟分、ドラマーでプロデューサーのジャン・ハービストと落ち会い、翌日ホンモノのフィンランド式スモーク・サウナに入る約束を交わした。ジャンと俺は数年来の友人で、「ザ・ファーラングス」という国籍を越えた(かつ銀河を越えた)バンドのメンバー同志でもある。かねてから俺のフィンランド滞在中にレコーディングを行う準備を進めていたんだが、ついに実行に移せる運びになった。

「ヒッツヴィル・IV」 は、ジャンと奴がレギュラーで参加しているバンド、ライカ・エンド・ザ・コスモノーツが運営しているスタジオで、いい設備が揃っていた。多くのミュージシャンが L.A. に持っているスタジオと同じく、最新の機材が並ぶファンキーだがスタイリッシュなスタジオ。ジャンのリクエストは、いわばパイナップル・スペース・ファンクの甘い一切れ。俺はその場でスポークン・ワードのテキストを書いて録音し、それにバリトン・ギター・ソロを載せた。1時間という制限時間内でだ。俺達はそういうやり方が好きなんだ。ガツンと一発録り、それで解散。歌のタイトルは、「南の島のバケーション」完璧オカシな、そして美しい曲だ。

ホテルに戻って急いで服を着代えギグ会場へと向かう。ツアー最後のショウとあってそれだけでも特別な夜になるはずだったが、800人以上が集まりソルド・アウトとなったことで一層フィナーレの夜にふさわしくなった。

旅している間バンドの中でよく冗談まじりに言ってたんだが、俺たちロードに出てこれだけしっかり練習を積んだんだから、L.A. に帰ったらその時こそカンペキだな、と。実際それは本当なんだ。バンドの団結を強めるのに毎晩一緒にプレイすることに勝るものはない。そしてこの夜俺達は、その真の核心に達したと言える。ある瞬間が訪れる -- 文字通り刹那的その瞬間、全てが極上の形となって現れる。表現の最高峰、そしてその瞬間、俺の人生は喜びに満たされる。この喜びを捕まえる事はできない。誰にもできない。鼻先をかすめるそいつにかろうじて慌ただしいキスをするだけ。それこそが、あの至福の一瞬なんだ。

すばらしいオーディエンス。アンコールの叫び声の中ステージを降りた。ザ・サイドバーンズと共に俺だけアンコールに戻り、全曲MC5のレパートリーで、レット・ミー・トライ/タッティ・フラッティ/シスター・アンをやった。エデュアルド・マルチネスとザ・フレイミング・サイドバーンズの他のメンバーは、フィンランドで俺達をブックしていっしょにやるために、さまざまに尽力してくれた。ありがたいと思っている。いい奴ら、ハード・ロッキングなバンド。今秋アメリカをツアーで訪れることになっているので、西海岸に来たらまたいっしょにやりたいと思う。

翌日、ジャンとマルカス、そしてコスモノートのギタリスト、マクガイバーと俺の4人で、ジャンの家族が所有している別荘に出かけ、本物のフィンランド式スモーク・サウナとランチを堪能した。本当に楽しく充実した時間を過ごすことができた。ジャンの家族は皆ミュージシャンで、俺は彼の親父さんと音楽について語り合い、フィンランドのこの人里離れた地方に伝わる、メランコリックで不思議な音楽を聴いた。ジャン自ら料理してくれたすばらしい食事。そしてサウナ・タイムだ。

まずサウナ室内で薪を炊いて岩を熱した後、煙りを追い出して裸で中に入る。フィンランド魂のルーツを形成する伝統的習慣だ。アメリカ・インディアンのスウェット・ロッジとか、同じような習慣は他の文化にもあるだろう。俺は極限まで熱さに耐えた。が、フィンランド人は岩に水を注いでさらに信じ難いレベルまで温度を上げることを好む。それからすっ裸で湖まで走って行き、水に飛び込む。ウワォォォオオオ!で、またサウナに戻って同じ事を最初っから繰り返すんだ。2回目に湖へ向かって走る時には、どういうショックが待っているのかある程度予測できたから、それ以後はこの体験を十分楽しむことができた。

アメリカに帰国する出発時刻はむろん迫っていたから、再びフェリーに飛び乗って次の、そして最後の旅程を消化した。

ところで、フィンランド滞在中に面白い事件が起こった。面白いというのは、つまり興味深い出来事だったということだ。詳細までは知り難いが大筋で言うと、俺達が滞在していた間にフィンランドの女性首相が辞任したんだ。彼女はどうやら、戦後イラクの再建においてアメリカを支持するという密約をブッシュ/チェイニーの軍事政権と取り交わしたらしい。いかなる軍事行動も支持してはならないという、フィンランドの政治理念にこれは反する行為だった。彼女はこの取り引きの隠ぺい工作を試み、そして更迭された。自国民の信頼を失った者に残された道は辞任だけだった。これがアメリカだったらどうだ?嘘を述べた事が発覚したという理由で奴らが辞任するか?アメリカの政治リーダーは定期的に嘘がバレてるにもかかわらず、国民も平然としている。アメリカ人は騙される事、政治腐敗に無感覚になって、それをまるで当たり前のことみたいに受け流している。

すばらしく楽しい時間を過ごさせてくれたフィンランドの兄弟達に、心からの感謝と尊敬を捧げたい。

フィンランドからアメリカに帰国する、この最後の旅程を見れば今回のツアー・スケジュールがいかに凄まじかったかわかると思う。

フィンランドのヘルシンキ出発:午後5時半
スウェーデン ストックホルム発:午前9時半
ドイツ ハンブルグまで12時間のドライブ
ロンドン スタンステッド空港まで空路移動、午後11時半着
午前3時発のバスでヒースロー空港に向かう
チェックイン、午前7時半発ニューヨーク行き便に搭乗
午前10時20分JFK空港着
午後2時半発ロサンジェルス行に搭乗
午後5時7分ロサンジェルス着

この72時間の移動の中で少しでも眠れたのは、ストックホルムへ向かうフェリーの中だけだ。

今回のツアー中、ものを考える時間があったのはよかった。ヨーロッパ社会は歴史に基づいて運営されている。つまり「文化」が果たす役割がアメリカにおけるより大きい。俺がヨーロッパを訪れるのは100回目くらいだったが、今回は今後もっといい仕事をしよう、もっとすばらしい音楽を創造し、より良い生活を営もう、という勢いみたいなものをもらった。この地球上で多くの人が毎日それをやっている。俺も彼等の一員だ。

俺のバンド・メンバー、親愛なる友人たちに心から礼を言いたい。ダグ・ラーン、エリック・ガードナー、そしてフレディ・クロン。1ヶ月の間に俺達が感じ合った連帯感と互いへの尊敬の気持ちをありがとう。そしてツアー・スタッフの2人にも本当に感謝している。ツアー・マネージャー兼驚異的FOHミキサーのバートランド(BP)・ペロー、購買・運転・その他全て担当のステファン・バーディ。

そしてもちろん、忙しい中ギグに来てくれて、俺達の音楽にいっしょになって耳を傾けてくれたみんな、本当にありがとう。

みんなに神の祝福を。

数カ月間にわたる充実した仕事。来年もまた出かけたい。

というわけで、ツアー・レポートは完了だ。
ウェイン

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