コカイン・ブルース」
ウェイン・クレイマーによるライナー・ノーツ
Cocaine Blues liner notes by Wayne Kramer
Used by permission of Muscle Music

正真正銘のコカイン・ブルース

このライブを行なうに至った長いらせん状の人生急降下について、ここに記しておく意義はあると思う。とにかく俺はそのプロセスを生きながらえ、このアルバムに収められたギグにたどり着くことができたんだ。が、だからといって、その途中で命を危うくするような場面が全くなかったというわけじゃない。

70年代初頭にデトロイトでドラッグ・ビジネスにたずさわるということは極めて危険な行為だった。当時のデトロイトは荒廃した暴力の町で、労働者は工場の職を失い、俺もプレイする機会を全く得られず、ヘロインと銃が俺の生活に深く入り込んでいた。しかも、DEA (Drug Enforcement Agency )という厄介な問題もあった。奴らは大統領ニクソンが考案した連邦警察組織で、急増する麻薬の脅威と戦い市民を守るというのがそのお題目だった。(その成果たるや見るがいい!奴らは相変わらず活動しているが、今じゃドラッグは20年前よりずっと手に入りやすくなっている。麻薬戦争に敗北した事は誰の目にも明らかだ。)

DEAは100ドル札の束をちらつかせながら、オトリ捜査に引っ掛かって奴らにヤクを売りそうなドラッグ・ディーラーを血眼になって捜していた。要するに俺みたいな人間のことだ。ギグの仕事もない、セッションも行なわれない、ヘロインをやっててカネがいる -- 俺は簡単に引っ掛かった。

それに当時の俺にとって、ヘロインとそれを取り巻く数々のエキサイティングな出来事は、ロックンロールよりずっと魅力的に映ったんだ。神秘的なギャングの世界に俺は完全にのめり込んでいた。法の外で生きるということが、名誉ある正しい道だと考えていた。当時俺が関わっていた人間は全員犯罪者だった。それがイカしたことみたいに思っていた。俺たちの世代は、犯罪を題材にしたテレビ番組や映画や本で育ってる。だからいわば自分を若い無法者に見立ててイイ気になっていた。それが間違いだった。自分がそれまで愛していたもの、自分の信条とか愛していた友達や家族、俺にとって意味があった生き方、そういうもの全てを捨ててしまう行為だった。そして癒しと力を与えてくれるはずの音楽に背を向けてしまった。それが大きな間違いだったんだ。

ドラッグ乱用に加えて、「ドープ・ハウス強盗」の脅威が常にあった。こいつらがするのは次の4つしかない。(1)ドラッグ売買が行われてるドープ・ハウスで大量のヤクを握ってる奴がどこにいるかを事前に調べる。(2)そこに押し入る。(3)中にいる奴らを全員撃ち殺す。(4)手に入れたヤクでパーティーをする。きっちりこの順序だ。俺が当時つきあっていたのはこのテの人間だった。ナイスな奴らじゃない。そしてもちろん、奴らがしてたようなことをエキサイティングでロマンチックだと考えた事が、俺の過ちだったんだ。

そういう殺戮の犠牲者に自分がなりそうになっていた、それだけで十分なはずだった。だがそれだけじゃ終わらなかったんだ。今思い返してみて、自分が経験した数々のトラブルを DEA やMC5解散やデトロイトの凋落のせいにしたり、才能はあったのに時期に恵まれなかったとか恨んだり、そんな風に考えるつもりはない。あの悲惨な状況において自分が果たした役割を真摯に見つめ、その元凶が何かと考えてみれば、むろん「俺」なんだ。自分自身がああいうこと全てを引き起こしたんだ。俺は際限もない自己中心的な考え方に取り付かれていた。世界の中心は俺と俺の概念で、この世は俺の必要を満たすためにあった。俺、俺、俺を中心に世界が回っているつもりになっていた。

ひっきりなしにより多くを要求し、そして決して満たされる事はなかった。

が、俺が抱えていた問題の本質はドラッグや犯罪じゃなかったんだ。現実社会を生きることができない、それが問題だった。俺は、無法でハードボイルドな荒くれ者のファンタジーの世界に生きていた。全てが嘘と欺瞞だった。そしてその世界を創造したのは他ならぬ俺自身だった。授かった音楽の才能や、俺をマトモに保ってくれていた人間としての信条に背を向けてしまったんだ。カネのためにコマーシャルな歌を作ってそれを売りビジネスを営むってことと、してはならない事、真に悪である行為を行うってことの違いを俺は十分知っているつもりだ。そして当時俺が選んだのは、全ての情熱を傾けて、してはならない悪事をはたらくことだった。

その顛末は知っての通りだ。刑務所に入れられ、数え切れないくらい何度も麻薬で死にかけ、病院に担ぎ込まれてはよろぼい出るように退院という、お決まりのパターンを繰り返した。驚くべきは、自分がまだ生きてるってことだ。地中深く眠る友人知人は呆れるくらいたくさんいるのに、自分はなぜその中にいないのか、納得のいく説明を見つけられないくらいなんだ。多分少しばかり運がよかったのか、神の設計図にはなかったんだろう。

昔を思い出して自分の経験を振り返りながら文章を書くという、こんな機会でもない限り俺はめったに過去の事を考えない。で、いざそうしてみると、自分が今ここにいて、当時を回想する状況にいるということに深い感謝の念を覚える。その気持ちはこのアルバムに収められたギグを行ったあの晩も同じだった。拘置所から解放され、友達といっしょに、しているはずのことをしている、俺は天にも昇るほどの広大な喜びを感じていた。ギグは大盛況で、ディングウォールズは興奮のる堝と化した。いい夜だった。

あの時のショウが1枚のアルバムになるとは考えてもみなかったから、このCDがリリースされて本当に嬉しい。このギグが行われた時期は、闇の世界を抜け出して、俺が愛し自分もその一部である明るい世界に戻りつつあった過渡期にあたる。いわば本当の意味での「おかえりなさい」だったわけだ。あの夜あの場所にいられたこと、そしてそれを今君たちと分かち合えることに、俺は深い喜びを感じている。

ウェイン・クレイマー
2000年9月18日 ロサンジェルスにて

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