オープンしたのはマイケル・シモンズ。前日の夕食の席で会っていたのだけれど、実はこの時まで彼がシンガー・ソングライターだとは知らなかったので驚いた。私が知っているシモンズはL.A. 在住のライターで、MC5のバイオグラフィー " Future Is Now" を執筆中の人、くらいにしか知らなかった。2曲目に入ったところでギターの調子が悪くなったが、ウェインがすかさず出て来て「オレのを使え」と自分のギターを提供(写真)、「ウェイン・クレイマーのギターだ」と感激しながら弾いていた。
2番手でウェインがバンドと共に登場。ベースとキーボードは初めて見る2人だったが、ドラムが何とブロック・エブリーで、これは予想外のものすごいボーナスだった。デトロイト出身のエブリーは、これまでにもウェインやその周辺のバンドと数多く共演、レコーディングにも頻繁に参加している。好きな曲では彼がドラムを叩いている場合が多い。デトロイト魂いっぱいのパワフルで、しかも創造力にあふれたエブリーのドラミング。最近では2001年ウェインがブライアン・ジェイムスと共作でリリースしたアルバム The Racketeers 中の Czar of Poisonville の演奏が印象的だった。ウェインは1曲のみ、Adult World だったが、そのすばらしさに圧倒される。この歌をライブで始めて聴いたのが同名のアルバムがリリースされた2002年6月、プロモーション・ツアー開始直後で場所も同じくロサンジェルスだったが、その時に比較してこの歌の「進化」に驚く。スポークン・ワードの歌だが、広がりと力強さは増し、ギター・ソロのすばらしさは、あたかもギターが楽器というより、独立した一つの人格を有して独自の言葉で叫んでいるようで、この夏DKT/MC5 が来日し、ウェインは昔のMC5の曲を演奏するわけだが、彼の「今」のこの音楽を、このギターを、いつの日か日本のファンに絶対に聴かせなければいけないと強く感じた。
続いてシンクレア先生登場。"Spiritual"、"Monk in Orbit" 、"Double Dealing" などの代表曲をウェインのバンドをバックに次々と朗読。ブルースやジャズの歴史、名立たるプレイヤー達の伝記が変わらぬ美しいバリトン・ボイスで語られる。「朗読」と言ってもビートの効いた「ロックな」スポークン・ワードだから飽きることがない。合間に入るウェインのソロも秀逸で、プレイヤーも一流である。ステージの真ん中に立つ長身大男のジョン・シンクレアを中心に、聴く者と演奏者たちと、ベイクド・ポテトの小さな薄暗い空間に、ほのぼのした温かい不思議な連帯感が漂う。ウェインが以前毎週水曜日にここで行なっていたギグに関してクレイマー・レポートで書いたように、外界の音楽ビジネスとは何の関係もない、純粋に音楽と詩を楽しむ秘密の儀式に参加しているような気分になる。
終盤はマイケルも参加。ウェインのあんな楽しそうな表情を初めて見たのだった。温かい拍手に送られてショウは終わり、アンジェラとマイケル夫妻を写真に収め、8月日本での再会を約束して2人と別れた。
帰り支度をしていると、シンクレア先生が手招きしている。行ってみると一昨年に出版された詩集を下さった。


"Fattening Frogs for Snakes" という詩集で、題名はミシシッピ出身の偉大なブルース・マン、ソニー・ボーイ・ウィリアムソン II. の有名な歌から取ったもの。ブルース研究家である彼が敬愛するブルース・プレイヤー達の生い立ちや、ブルースの歴史が詩にまとめてあり、一部は彼のスポークン・ワード・パフォーマンスで使用されている。中を開けて1ページ目にさらさらとメッセージを書いてくれた。

ユキコ、
私たちに会うために、はるばるL.A.まで来てくれてありがとう!

愛をこめて
ロサンジェルス 2004年4月17日
ジョン・シンクレア

先生、こちらこそすばらしい夜をありがとうございました、と再会を願いつつ別れた。初めて会ったシンクレア氏は、茶目っ気たっぷりの好々爺であった。いつか日本にも来て欲しいものだと思う。翌日はザ・デヴィアンツのミック・ファレン氏に会ったりして過ごし、4日目に帰国の途に着いた。常にも増して慌ただしい滞在だったけれど、MC5関係者から直接いろいろな話を聞くことができたし、充実した旅だった。8月のサマー・ソニックが本当に楽しみだ。

ジョン・シンクレア ロサンジェルス公演レポート 完
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