1968年、シカゴにおける民主党全国大会開催中、MC5はベトナム戦争に反対してコンサートを行った。この出来事は後にその政治的側面ではなく、社会動乱がテレビであからさまに放映された事例として歴史に残ることとなった。シカゴ市長リチャード・デイリーはイリノイ州兵を動員、さらに1万2千名の警官をシカゴ市内に配置して1万5千名のデモ参加者を排除した。
流血の惨事が発生する前、クレイマーは穏やかな恍惚状態で「スターシップ」を演奏していた。MC5がサン・ラーの歌詞に曲をつけた歌である。
「曲の中盤で俺はフィードバックを弾いていた。低音を揺らして長く延ばすフィードバックだ。そこにシカゴ警察のヘリコプターが飛んできて、俺たちの頭上でライブを妨害し始めた。」クレイマーは回想する。「だが俺の耳にはそのヘリコプターの騒音が、自分がギターで弾いていたものとぴったりマッチして聞こえたんだ。俺は思った。『今この瞬間、こいつはすごいアートだ。すげぇ美しい、美の産物だ。ギターのトーンにヘリコプターの翼が完璧に調和してるんだ。』」
警官が警棒で殴り始め催涙ガスが投入される前に、MC5はステージから撤退してバンに機材を投げ込み、「すっ飛んで逃げた」という。
その40年後、イラク戦争に反対するためクレイマーは2008年の民主党全国大会でレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのゲストとして招かれた。
「俺は今でも、人々に注意を喚起しなくちゃいけないと感じる事について歌ってる。活動家なもんでね。」クレイマーは言う。「それをやってると、時には反対派の人間と対立することになる。あることに関しては時には立ち上がらなくちゃいけないし、そのことでいろんなことが収集つかなくなる。だが、どんな世界に生きていたいと思う?」
クレイマーの最近のパフォーマンスのほとんどは、社会的、政治的変化を目指したものである。2009年5月、彼はニューヨーク州オシニングにある有名な重警備刑務所であるシンシン更生施設を訪問し、囚人のためにライブを行って彼らと対話した。
1975年、FBIのおとり捜査官にコカインを販売した罪により、クレイマーはレキシントン連邦拘置所で2年半の刑期を務めた(彼の言葉によれば「連邦政府のゲストになったのさ」)。彼はアメリカの「ドラッグとの戦争」の敗北を人々に伝えることに強い義務感を感じている。
「刑務所が飽和状態で、本当に収監すべき人間を拘置できないところまできている。」クレイマーは語る。「あるグループは収監しておかなければならない。しかし非暴力のドラッグ犯罪者を拘束しておく必要はないんだ。彼らに必要なのは治療だ。アメリカは彼らを投獄するために年間700億ドル(注:約5兆7千400億円)を費やしてるが何の意味もない。欲しいドラッグは何でも、30年前より簡単にどこでもすぐに手に入る。つまりこのドラッグとの戦争は全くの失敗に終わったんだ。治療やリハビリ・プログラムに回す財源は全く残っちゃいないから、結局彼らはまた刑務所に戻ってくる。俺は犯罪に対し寛容になれと言ってるわけじゃない。賢くなれと言ってるんだ。」
クレイマーはまた、イギリスのミュージシャンであるビリー・ブラッグと連帯し、ブラッグの「ジェイル・ギター・ドアーズ」(クラッシュの1978年シングル「クラッシュ・シティー・ロッカーズ」のB面曲名から名付けた)プロジェクトに参加している。刑務所の囚人達に楽器を贈ることを目的にする活動だ。
これまでで最も誇りに思う成果は何か、と私が尋ねると、しばらく考えてからクレイマーは答えた。「それはこれから達成されると思う。たぶんジェイル・ギター・ドアーズになるはずだ。俺が今までで一番誇りに感じるのは、ジェイル・ギターの活動だ。俺が音楽の世界でこれまでやってきたこと全てを投入して、現実世界で実際に意味のあることのために利用できるからなんだ。ジェイル・ギターは自分がしたいこと全て ー 音楽、正義、行動につながっているんだ。」
クレイマーの人道主義的活動はむろん称賛に値するが、彼の過去の業績も同じくらいすばらしい。
後のパンク・ミュージシャンのプロト・タイプとして、MC5はしばしば70年代アメリカのロック・バンドの中で最も重要なグループの1つに数えられる。
1969年のデビュー・アルバム「キック・アウト・ザ・ジャムズ」は、1968年10月にデトロイトのグランディ・ボールルームで録音されたが、その再発に際してロブ・タイナーはライナーノーツで書いている。「パンクの前に僕らはパンクだった。ニュー・ウェーブの前に僕らはニュー・ウェーブだった。メタルの前に僕らはメタルだった。」
そしてある意味で、ラップの前に彼らはラップだったのだ。タイトル・トラックである「キック・アウト・ザ・ジャムズ」は、歌の中のスローガン「キック・アウト・ザ・ジャムズ、マザー・ファッカー」によって大きな論争を巻き起こした。
「すばらしいフレーズだと思うよ。」この放送禁止用語についてクレイマーは語る。「大きな賛辞としても、全くの軽蔑用語としても使える。このレコードを販売したために逮捕された人間が出たことや、この曲を録音したためにMCがラジオから閉め出されたなんて現在では想像もつかないだろう。まさに今のラップの世界じゃ1曲の中で30〜40回も『マザー・ファッカー』って言わなくちゃいけない。」
MC5の反体制的姿勢を考えれば、このフレーズが「束縛をブッ飛ばせ」を意味していると解釈されるのも無理はない。しかしクレイマーの説明によれば、これはMC5がよく他のバンドに向けていた野次なのだという。
「俺たちは若く、俺たちは傲慢で、全てに関して正義なのは自分達だと確信してた。」彼は言う。「物事がこうあるべきだと自分達が考えていること、それこそが正しいと思っていたんだ。相手が同じように考えないと間違ってるのは向こうだった。だから他のバンドが俺達が感じているようにプレイしないと、「ジャムってねぇで引っ込め!」って嫌がらせにヤジを飛ばして叫んでたんだ。あんまりたびたびそれをやっていたから、この短いフレーズというか表現が決まり文句みたいになり、それ自体特別な意味を帯びてきた。で、ある日俺とロブ・タイナーの間でこれを歌にしようぜ、ってことになり、2人でキッチンのテーブルで俺が曲をつけ、ロブが歌詞を書いたのさ。」
クレイマーは謙遜しつつも今なおこの曲には満足しているという。
「この歌が現在でも共感を呼ぶのは、歌われている内容のせいだと思う。自分がすることを全身全霊を傾けて行ない、信念を持って、それを行ない続けるってことだ。」彼は言う。「そして音楽面から言えば、3分間の歌が達成し得る、いかなる構造にもテンポにも音階にも閉じ込めておけない最高レベルの原初的で爆発的な力を持ってる。」
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