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Excerpt from Paul Gray's home page
Archives & Stories Part 2 by Paul Gray
Used by permission of the author
マーカスのテレビ・ショウに出演した後、僕らはチェルムスフォードで開催された「シティー・ロック・フェスティバル」におもむいた。ところがこのイベントが記念碑的大失敗で、宣伝不足のため客の入りは最低、多くのバンドが出演を取り止め、スズメの涙ほどのギャラを飲んで使った後帰ってしまった。僕らは留まったが、演奏している最中に主催者側PAスタッフが機材を片付け始めたのだ。カネを支払われる見込みがないとわかったからだった。ホット・ロッズはそれまで一度としてライブを途中でやめたりしたことがないバンドだったから、そこで引っ込むつもりはなかった。もとMC5のボーカリスト、ロブ・タイナーが会場に来ているというのも一因だったかもしれない。MC5はこの世に存在したバンドの中で、最もすさまじく、畏敬に価するバンドのひとつであり、ホット・ロッズに多大な影響を与えていた。ロブ・タイナーはその時雑誌の仕事でイギリスのパンク・シーン取材のため、ジャーナリストとして来ていたのだ。彼はステージに上り、僕らに加わって即興で歌った。「バック・イン・ザ・USA」と「グロリア」だったと思う。MC5時代より少し太ったみたいだったが、その声のすばらしいことと言ったら!モニターがイカれ、PAは片付けられてすでにないというのに、彼の力強い声は僕らの演奏の音を越えて空高く舞い上がったのだ。いっしょに何か録音しようという話になり、9月20日、リージェント・サウンド・スタジオに入って彼が書いた2曲「ティル・ザ・ナイト・イズ・ゴーン」と「フリップサイド・ロック」を録音した。曲は決して名曲というわけではなかったが、サウンドはすばらしく響いた。NMEのレビューを引用すると、ドラムのスティーブと僕はこのシングルで「完璧にマッチした呼吸、そして最大限のパワーを達成したリズム・セクション」ということだった。驚いたことに、この時僕とスティーブは相手が次の瞬間何をやろうとしているか、お互い本能的に察知できたんだ。(これと同じことが数年後ダムドのドラマー、ラット・スキャビーズとやった時に起こった。)グレイムスのギター・プレイはこの頃その頂点にあった。そしてロブの「あの」声の威力は誰も文句のつけようがなかった。このシングルは売れはしなかったけど、誰も気にしなかった。僕らは僕らのヒーローと出会い、そして彼といっしょにレコーディングすることができたんだ。. . .
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