この頃までにメンバー5人の共同生活は破綻していた。バンドの結束は崩れ、ドラムのデニス・トンプソンとベ−スのマイク・デイビスはヘロインの中毒、ボーカルのロブ・タイナーもしだいに音楽ビジネスに居心地の悪さを感じるようになっていた。彼はこの頃すでに家庭を持っており、文筆活動をしながら家族と過ごす事を望んだのである。

MC5として3枚目のアルバム、High Time はこうした状況の中、7月6日にリリースされた。

録音時バンドの状態は最悪であったにもかかわらず、このアルバムは大傑作になった。Kick Out The Jams のエネルギーを、計算されたスタジオ・ワークでクリエイティブに押し進めた1枚。ここには革命のグルも、バンドの行動をコントロールしようとするプロデューサーもいない。自我に目覚めた5人のロック・ミュージシャンが、ルーツのロックンロールと、コルトレーンのフリー・ジャズと、サン・ラのコズミック・ジャズを融合し、ロックの方向性における一つの可能性を示したのである。歌詞は鋭さを増し、革命の日々の苦い経験を歌うが、しかしアナキーなスタンスはそのままに、自分たちはもう誰にも翻弄されない、という強い決意が感じられる。最後の曲 "Skunk (Sonicly Speaking)" -- もしファイブがこの後存続していたなら、4枚目のアルバムは間違いなくこの方向に進んだであろうことを感じさせるトラックである。

しかし残念なことに、このバンドにその未来は訪れなかった。秀作であるにも関わらず、High Time は、Back In the USA をさらに下回る成績、ビルボード・チャートの200位にも入らなかったのである。アトランティックは契約の打ち切りを決定した。

ウェインは活動の場をヨーロッパに移すことを決意し、この年の夏バンドはヨーロッパ・ツアーのため再びイギリスを訪れた。ロンドン滞在中にはロ−ナン・オライリ−がプロデュースする映画、"Gold" のサウンド・トラック数曲を録音した。ギターにフレッド・スミス、ベースはウェイン・クレイマ−、ドラムスをデニス・トンプソンというラインアップだった。ベーシスト、マイク・デイビスはこの頃までにさらにヘロインに侵され、演奏できる状態にはなかったと思われる。

NEW 9/5/04

Gold のサウンド・トラックは、翌年 Mother Record からイギリス限定でリリースされた。(Mother Album MO-4001)

オライリーは前年のファン・シティー・フェスティバルでMC5のステージを目の当たりにし、強い印象を受けていた。彼は富裕なアイルランド系一族の出身だったが、事業を継ぐことにはいっさい興味を示さず、自らの財力を生かして、ヨーロッパにおけるさまざまな創作活動の仕掛人のような事をしていた。(彼はまた、海賊ラジオ局、「ラジオ・キャロライン」の創設者としても知られている。)オライリーの支持を受けたファイブはこの時期、 Gold の他にもいくつか彼とのプロジェクトを持っていたらしい。シンクレアとの関係とは異なるとはいえ、この時期オライリーとファイブは、ウェインの言葉によれば「アーティスト対アーティスト」として、強い連帯感で結びついていた。

12月10日、デトロイトのアン・アーバーにおいて、ジョン・シンクレアの釈放を求める集会が1万5千人を集めてクライスラー・アリーナで開催された。参加者の中にはジョン・レノンとオノ・ヨーコも含まれていた。レノンは、この年の6月にリリースした、「サムタイム・イン・ニューヨーク・シティー」の中で「ジョン・シンクレア」という歌を歌っている。ベネフィット・コンサ−トも行われたが、MC5は招待されなかった。

そして3日後の12月13日、シンクレアはついに釈放されるのである。しかし、その後長い間、彼がMC5のメンバーと顔を合わせることはなかった。

この年1月、アメリカは5.3パーセントのインフレ率と、6パーセントの失業率に苦しめられていた。ニクソンが前年に実施した減税を含む経済政策は物価高騰をあおっただけだった。

6月13日、ニューヨーク・タイムズが Pentagon Papers いわゆる「ペンタゴン白書」を掲載し始めた。これは、もと国防長官ロバート・マクナマラによって命ぜられたベトナム戦争に関する極秘研究書で、ニューヨーク・タイムズはこれをダニエル・エルスバ−グという人物から入手していた。エルスバークは、国防政策分析のシンクタンク、ランド・コーポレーションに勤務していた国防問題のスペシャリストだった。この白書によって、政府がベトナム戦争に関し、一貫してアメリカ国民を欺いていたことが明らかになったのである。ホワイトハウスは、エルスバ−グの信用を落とすような情報を入手しようと謀り、彼がかかっていた精神科医の事務所に工作員を侵入させた。この工作員のチームこそ、翌年、ベトナム戦争の罪の意識に打ちのめされているアメリカ全国民に、さらなる精神的大打撃を与える事件、アメリカ現代史最大の汚点「ウォータ−ゲート事件」の実行部隊だったのである。

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