3月13日、アトランティックから、Shakin' Street/American Ruse というカップリングで2枚目のシングル盤がリリースされた。(Atlantic 45-2724) しかし全くの不振でチャートの100位にも入らなかったのである。
MC5が初めての渡英を果たしたのはこの年の7月である。Phun City Festival に参加するのが直接の目的だった。ウェインはアメリカにおける混迷からの脱却を試み、ヨーロッパに活路を見い出そうとしたのだ。シンクレアとコミューンのもとを離れたファイブは既に経済的にも逼迫していた。この時点でバンドには8万ドルの借り入れがあったという。
ファンシティー・フェスティバルを企画したのは、ザ・デヴィアンツのフロントマンで後年ロック評論家・SF作家としても有名になるイギリス・ロック界の奇才、ミック・ファレンを中心とした人々である。ファレンがファイブと出会ったのはこの時が初めてだったが、この後、彼とウェイン・クレイマーは生涯を通じての朋友となる。
このフェスティバルをきっかけに、イギリスではちょっとした「革命ブーム」が起こる。ファレンが編集に携わっていたInternational Times などのアングラ・メディアが彼らの革命思想を信奉し出し、秘密結社「ホワイト・パンサ−党ロンドン支部」さえ結成された。
さらにこのような状況下、3枚目のアルバム、High Time のレコーディングが、デトロイトのア−ティー・フィールズ・スタジオにおいて背水の陣で開始された。
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