後にMC5のドラマーとなる、デニス・トンプソンが、リンカーン・パーク・ハイスクールでウェインとフレッドに出会い、そしてロブを知ったのはこの年だった。ウェインとフレッドは必ずしも同じバンドにいたわけではなく、それぞれ別のさまざまなバンドに加わっては、チャック・ベリーやベンチャーズのコピーなどをやっていた。ボブ・シーガー、ミッチ・ライダー、テッド・ニュージェント、イギー・ポップ、スージー・クアトロ、すべて同時代のデトロイト出身であり、彼らもこの頃から同じようにガレージバンドで演奏していた。この時期のデトロイトにいかに多彩な才能がひしめき合っていたかわかると思う。そして彼らの究極の夢はモータウンでレコード・デビューすることであった。デトロイトは自動車産業を中心としたブルーカラーの町であり、白人も黒人も共に自動車の組立ラインに並んだ。そういう環境で労働を尊ぶ風潮があったために、他の地域に見られるような人種差別が少なかったのである。音楽シーンにおいても狭い地域にブルース、ゴスペル、R&B, ロック、ジャズが混在していた。多くのナイトクラブで、間近で演奏されるライブのブラック・ミュージックは、デトロイトのホワイト・ロッカー達の身体に深く染み込んでいったのである。いわゆる「ミシガン・ロック」すなわち、肉体労働に従事する者が、同じようにエネルギッシュにハードに働くバンドを求めるという環境の中で、MC5やストゥージズに代表される、メタリックでハイ・エナジーなロックの系譜がここに確立される。そしてそれはファイブ消滅後も、70年代パンク、メタルの形で受け継がれる事になるのである。
やがてフレッドは The Vibratones を結成、ウェインはデニスをドラムに入れて The Bounty Hunters を結成する。やがてこの2つのバンドは合体して第2期 The Bounty Hunters となった。ギターはウェイン、ベースはフレッド、デニスは脱退して The Vibratones のドラマー、 L. レダックが入った。ロブは相変わらずロックを認めようとはしなかったが、マネージャーとしてこのバンドに関わるようになる。
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