April 1, 2004
An Open Letter from Wayne Kramer
Re: Future/Now Films & Rebecca Derminer (Tyner)
Translation by permission of Muscle Music

2004年4月1日
ウェイン・クレイマーの声明文

フューチャー/ナウ・フィルムズとレベッカ・ダーミナー(タイナー)に関して

ここ数日間、俺は悪意ある中傷の的になっている。だからここではっきりさせておこうと思う。どうして俺が、自分とMC5の仲間の権利を守るために、フューチャー/ナウと対立するハメになったのか。

先月、デイブ・トーマス、ローレル・レグラー及びレベッカ・ダーミナー(タイナー)は、MC5の楽曲に対する俺の著作権を剥奪する訴えを裁判所に提出した。というわけで俺は今、連邦裁判所とファンの前で、自分の権利を守るために戦わなくてはならなくなった。フューチャー/ナウがしたことは、俺の作品及び俺が語った自分の物語に対して俺が持つ権利を俺から強奪しようとする暴挙だ。

裁判所からの令状を手にするまで俺は、彼らが正しい行いをしてくれるかもしれないという希望を抱いていた。訴えられたのは俺だけだ。あの映画の製作開始当初に俺とフューチャー/ナウの間で取り交わされた合意を守れと、俺が主張したからだ。

信念をもってあの映画製作に協力し大変な努力を費やした俺達全員が、非常に大きな失望を味わっている。

デイブ・トーマスとローレル・レグラーも、自分達が起こした行動を公に釈明すべきだと思う。俺に向けられている攻撃の中心は彼らだし、レベッカ・ダーミナーを含めて多くの人間を巻き込んだのも彼らだからだ。

「正しい」って言葉が飛び交ってるが、それを口にしている者はその意味が、正しい思考と正しい行動を指すってことを知るべきだ。

そのどちらも、彼らは実践していない。

1996年頃のことだ。デイブ・トーマスとローレル・レグラーが俺に連絡してきた。MC5の映画を作りたいと。そして俺の参加が不可欠だと。劇場用の長さを持つ映画を製作した経験はない、とも言った。俺は一つの条件を守ってくれれば協力は惜しまないと返事した。その条件とは、俺はその映画の音楽プロデューサーとして参加し、俺の人生を描いたその物語から得られる利益を共有する、ということだ。彼らはにべもなくこれを受け入れ、俺達は合意に達した。両者が自分達の努力に相応した利益を得ると。俺は音楽を担当し、彼らは映画を撮影すると。

1971年には俺は彼らと共にシカゴに行き、リンカーン・パークで撮影を行った。俺へのインタビューを収録した7分間の予告編が作られ、それはロイ W. ディーン映画賞を受賞し賞金を獲得した。

1998年及び1999年を通じて、それまでカメラの前でMC5について語ることを拒否してい関係者を説得するため、俺の事務所は多大の時間を費やしてこの映画のためにインタビューをアレンジした。そういう人たちは、俺がバックアップする製作会社だということで出演してくれたんだ。

1999年秋になる前、俺はデトロイトに赴き、長時間にわたるインタビューを撮影した。この時撮った映像は、映画の進行全般を導いていく中心的語りとして採用されたことが後になってわかった。俺にしてみればこの収録にはすごい労力が必要だった。つまり、できる限り誠実にありのままに、いい事も悪いことも伝えようと、俺は大きな努力を払ったんだ。

俺達は合意に基づく計画を進めていった。幾つかの人気バンドによるMC5楽曲のカバーを入れたサウンドトラック・アルバム制作だ。ローレル・レグラーは俺達に、それをリリースしてくれるレコード会社を捜すべきだと勧めた。約束の計画だから俺は有名なバンドに声を掛け、新たにカバー数曲がレコーディングされた。ローレル・レグラーは、映画の「音楽関係担当」だという外部の会社を数社、俺達に紹介した。彼女は俺達にサウンドトラック・プロジェクトに関する提案書を送ってきた。そして俺達は信頼できる企業数社から、このサウンド・トラックの配給契約の申し出を受けた。俺達は、デイブ・トーマスとローレル・レグラーが映画の製作費用を借りられるよう、銀行宛にこの合意の内容を説明する文書さえ送ってやったんだ。

ワーナー・チャッペル音楽出版社を含め、ウェスト・コーストの多くの企業に対し俺達はこの映画プロジェクトを保証した。当初はワーナー・チャッペルとの会議にも俺自ら出席し、このプロジェクトを俺がサポートしていることを彼らに理解させ、今後パートナーとしていっしょにやっていくことを確認させた。そういう会議の席上、俺は「音楽プロデューサー」として言及されていた。計画は順調に進んでいたし、信頼できるオファーも受けていたわけだ。

撮影は進み、デイブとローレルと仕事をし始めてから4年が経過した時、もっと以前に契約書を取り交わして合意を確認しておくべきだったと感じた。最初に共同で作業を始めた時点で合意した報酬を受け取りたかった。俺はこの映画のために創作活動を行ったこと、彼らが制作した分の成果まで欲しいわけではなく、俺がした仕事分の報酬だけ受け取りたい旨、デイブ・トーマスに明確に伝えた。「彼らの」カネ、「彼らの」クレジットを奪おうとしたわけじゃない。それどころか俺達は実際には、フューチャー・ナウ・フィルムズ、俺達が説得して彼らに投資した人々や会社、MC5の他のメンバーや彼らの未亡人、そういう人たちに収入をもたらす活動を行っていたんだ。が、デイブ・トーマスはこの事に関し、俺と協議することを拒否した。

2001年、俺達の度重なる要求に折れて、デイブとローレルはようやく俺達に20分間だけ作品を見せた。その結果、俺が音楽プロデュースを行った部分を彼らが全面的にカットしたことが明らかになった。音楽部分がすでに完成している映画を20分間見せられたんだ。俺は深く失望した。彼らが俺の音楽に行った仕打ちに対してだけではなく、自分が欺かれ利用されていたという事実に対してだ。俺は答えが欲しかった。だが、連絡を取ろうとすればするほど、彼らは逃げていった。

俺は彼らが提出した業務提携契約にサインすることになった。彼らの弁護士は、俺が肖像権及び肖像利用権の許諾契約書にサインしなければ、その提携契約に拘束力が出ないからそれにもサインしろと告げた。そんな許諾契約などもっての外だった。俺は今もって、これらの権利の許諾/放棄にサインしてはいない。言語道断だろう。

とにかくフューチャー/ナウは欲しかったものを俺から巻き上げ、最初の合意を口にすることさえなく俺を厄介払いしたんだ。あの合意が有効だったことを俺は知っている。それに基づいて俺は仕事をしたのだから。自分に義務を課し、映画のために俺が持っていたもの全てを提供した。俺はMC5というバンドを営み、あの映画は俺の青春を描いたものだった。MC5の音楽は俺の音楽でもあったんだ。だがどうやら、彼らを信用したのが間違いだったらしい。

2002年4月を迎える頃には、俺を全く除外した形で音楽部分を完成させ、サウンドトラックの件も全く解決されないまま、映画はシカゴで上映された。何故俺の音楽プロデュース部分がカットされたのか、何ら説明されないまま、俺は上映に立ち会うよう依頼された。後になってデイブは、懸案事項を協議するための話し合いには一切応じない旨通達してきた。

俺達はこの映画に対する推薦を取り消すことを考えた。デニス・トンプソンとマイケル・デイビスとも話し合った。投資を行った関係者に電話を掛けた。デイブ、ローレル、そして彼らの弁護士に連絡を取るため、電話、ファックス、Eメイル、書簡、ありとあらゆる手段を通じて個人的に、あるいはこちらの弁護士を通してコンタクトを試みたが、問題を解決しようとする俺達のアプローチを彼らは一切無視した。

ワーナー・チャッペルから問題は解決したのかと問い合わせを受けた。答えはノーだったが、それでも俺達はフューチャー/ナウがこの映画の配給元を獲得しようとするのを妨害するつもりはなかった。ひょっとすると問題解決の糸口が見つかるかもしれないという希望をまだ抱いていたんだ。配給元を見つけるため俺達もさまざまに努力し、そのために多額のカネを自腹を切って費やしたりもした。そしてフェスティバル上映限定のライセンスを与えたんだ。ワーナー・チャッペルはフューチャー/ナウに1年間の期限付無償使用許諾を与え、やがてそれは2003年秋に失効した。

が、フューチャー/ナウはライセンスが切れたその後も、映画を上映し続けた。

それでもなお俺達は前向きの姿勢を持っていた。去年ロンドン100クラブで行われたイベントの撮影とそのDVD制作を担当しないかと提案し、さらなる和解策として、費用を払うからロンドンの学生向けに上映したらどうかと申し出た。が、彼らはこういう提案を全て拒絶し、しかもその返礼に、このロンドン・プロジェクトの関係者を非難中傷し、脅したんだ。

その後、ある日デイブ・トーマスから電話があり、何が欲しいんだと訊かれた。両者が最初に取り交わした合意を守って欲しいと俺は今一度要求した。彼は拒否した。

俺達はワーナー・チャッペルに対し、この映画の音楽ライセンスを撤回するよう依頼し、同社はデニス・トンプソン、マイケル・デイビス、そして俺から提出されたこの依頼に従った。現在も従ってくれている。

にもかかわらずフューチャー/ナウは、ライセンスを受けていないこの映画を全米各都市で上映し、法的にはブートレグに成り下がったこの作品から利益を上げている。

例のサウンドトラック・アルバムは永久に日の目を見ず、俺は今、最初に約束したことを守って欲しいと言ったがために大きな非難の矢面に立たされている。「正しい」バンドの「正しい」映画を製作したんだからと、自分の音楽や自分の人生の物語に対する権利を放棄しなくちゃならんのか?冗談じゃないぜ。俺は頼まれたこと、それ以上のことをしてやった。自分の音楽と物語でできることを行い、生活費を稼ぐ方法を一つ追求しただけだ。

MC5の他のメンバーや未亡人や友人達が、それぞれの理由で、インタビューに応じたりこの映画に貢献したりした、あるいはしなかったとしても、俺は全く全然構わない。それをとやかく言うつもりは毛頭ない。ただ、俺はそういう理由でこの映画に関わったんじゃない。俺は仕事を受けたんだ。俺がしたかったのはそれだけなんだ。何かをくれと誰かにせがんだわけじゃない。生活のために映画やテレビの音楽を制作する。そうやって支払いを行なうのは俺にとって当たり前のことだし、俺にはそれができる。だが、デイブ・トーマスとローレル・レグラーは、その権利を俺から奪ったんだ。俺達はフューチャー/ナウの全面的パートナーだとはっきり約束しておきながら、そういうことをしたんだ。

ワーナー・チャッペルは彼らの著作権を守ると共に法的責任を果たし、弁護士を通じて、あの映画の上映停止を求める文書をフューチャー/ナウ関係者に送付した。当然の報いだろう。

自分の作品と肖像権を守ろうとする俺の権利に対抗し彼らは、俺を相手取って、連邦破産審査裁判所に裁定申請を提出した。俺を脅してライセンスをよこせと言うわけだ。まったく厄介なことをしてくれたぜ。俺のアタマに銃口を突きつけて、「ライセンシングの問題」に関し積極的に協力するかと詰問しているも同然だ。そして精神的拠り所として、レベッカ・ダーミナー(タイナー)を旗頭に担ぎ出した。レベッカはその裁定申請書に連名でサインしたんだ。

俺を侮辱している証拠に、フューチャー/ナウの弁護士が電話してきて彼らのメッセージを伝えた。「ウェインをスターにしてやりたい」のだそうだ。俺のことを、ロック・スターに幻想を抱いている世間知らずのティーンエジャーとでも思ってるのか?

デイブ・トーマスがある業界関係者に語ったところによると、「30日以内にウェインの出版権を剥奪してやる」んだそうだ。「『わたしはウェイン・クレイマーを殺した』って本を書く」予定で、この件を「メディアに公に」するつもりだって話も聞いた。もうすぐ「ウェイン・クレイマーは救いようもないマヌケでアホな奴だと、世間に公表してやる」って言い始めるぜ。これが自分らが招いたトラブルを新聞記者に語りながら「電話口ですすり泣く」奴が言うことか?全くどういう神経をしてるんだ?

取り決めた事に忠実に従うよう要求し、長年にわたって我慢を重ね、俺はもう限界だ。この映画が完成するまで長い間待ち続けた。俺達は辛抱強かったと思う。協議する機会と時間は山ほどあったんだ。俺だってそれほど物分りの悪い男じゃない。俺のプライベートな生活を脅かす申請書を手渡されるその瞬間まで、話し合う用意はできていたんだ。事ここに至っては、これから裁判で自己を擁護するための費用と、こんな声明文を書く時間と、そんなものがあるだけだ。人生を完遂するのにあの映画が必要なわけじゃない。大きなお世話だ、俺は今良き生活を送ってる。MC5の話はこれまでずっと自分なりに語ってきた。MC5の物語は俺のもので、俺のバンド仲間のもので、フューチャー/ナウの所有物じゃないぜ。

とにかく悲しいのは、ロブが亡くなってからずっと非常な努力を重ねて修復してきた、レベッカ・ダーミナーと彼女の家族との人間関係が、この件で完全に破壊されたことだ。

俺は聖人じゃない。刑務所やスラムにいたこともある。ホームレスだったこともあるし、アル中・ヤク中の更生施設に入ってたことだってある。だから、いかがわしいヤバい奴らには大勢出会った。だが、デイブ・トーマス、ローレル・レグラー、そして彼らの弁護士、ボブ・ラベイトとピーター・ストランドほど、その行為が卑劣で、道義心に欠け、二枚舌で、心の底から不誠実な人間を俺は他に知らない。

ウェイン・クレイマー

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