海外盤CD輸入禁止問題に関して
6月3日衆議院において、著作権法改正法案が可決・成立してしまった。これにより、アジア産の安価な邦楽CDの逆輸入のみならず、洋楽輸入盤も規制・禁止対象となることが決定したのである。
そもそもの発端から、こと此処に至るまでの政治と経済のカラクリを想像すると暗然とする思いだが、とにかくこの国の権力者が「文化」というものをどの程度に考えているかが露見した。
これは単に音楽というジャンルだけの問題ではない。造形、絵画、映像、ファッション、CG、全てのクリエイティブな活動はシームレスだ。1人の日本画家が、ピンク・フロイドを聴いてインスピレーションを感じ、すばらしい作品を産み出す可能性もあるわけで、その時画家が手に取るフロイドのCDが輸入盤であるか、国内盤であるか、選択肢は最大限に用意されていなければならない。一部の私企業の利益を確保するために、混沌が生み出すエネルギーによって偉大な芸術が育まれる可能性の芽を摘み取るという暴挙が、「文化」を標榜する国家機関によって堂々と行なわれたのである。
話が大きすぎてピンと来ない人もいるかもしれない。たとえば、私は輸入盤のライナーノーツをつぶさに読む。それらは多くの場合、そのミュージシャンとごく親しい立場にいた人物や、リアル・タイムで、またはその現場で、収録されている音楽を体験した人間、あるいはミュージシャン本人によって執筆されている。そのため日本盤ライナーにはない非常に貴重な情報を含んでいることが多い。国内盤にそれを対訳で封入する余裕があればよいのだが、歌詞対訳や日本人ライターによる解説を同封するために、全てとは言わずとも、日本盤ではこれらのオリジナル・ライナーは割愛されることが多いようである。数年前、ザ・パイレーツの「ロック・ボトム」というアルバムのライナー対訳の仕事を頂いたことがあった。ミック・グリーン本人の筆によるコメントが原文で1ページ、そして延々4ページ半にわたるライナーでジョニー・キッドとパイレーツへの熱い思いを綴ったのは誰あろう、モット・ザ・フープルのドラマー、デイル・バフィン・グリフィンである。どちらも大変面白く興味深い内容で、対訳は六ツ折シート1枚の裏表に印刷され輸入盤のディスクに同封された。このアルバムに日本盤はないが、今後仮に同じような状況で国内盤とのバッティングがあるとしたら、今回改訂された著作権法により、日本のファンがそういう貴重な情報を得る機会が永久に奪われる道が開かれたのである。CCCDの問題もむろん大きいが、私にとっての輸入盤禁止による最大のインパクトはここにある。
しかし、上記のような事情がありながら、この法案可決を阻止するために敢然と立ち向かった音楽ライター諸氏の行動に感銘を受けた。レコード会社とのしがらみもあると想像するが、日本の音楽文化の多様性を堅持するために立ち上がった評論家や音楽関係者の勇気と行動力に拍手を惜しまない。
今まで、政治と自分が関心を持つ事柄とはあまり関係がないと考えていた。政治家や官僚に今さら何も期待していないし、いかにお粗末な政治であっても、自分が好きなことを探求していられれば構わないと思っていた。そういう無関心が今、めぐりめぐってこのような報いを受けたのである。しばらく前、クレイマー・レポート#21でウェインが呼びかけていた「パンク・ボーター」運動が持つ意味が今身に染みてわかる。
だからこの問題に関してこの先自分にできることは、今後海外メジャーが何を仕掛けてくるか、その動きに目を光らせ、かつ、文化芸術に対する真の理解を持っているような政治家を国政の場に一人でも多く送り込むことだと思う。今回の顛末を敗北とは捉えず、かつてジョン・シンクレアのアーティスト・コミュニティーが為政者に深刻な脅威を与えたように、「イイ年してロックで騒いでるヤツ」でも団結すれば5万7千の署名を集める圧力になる、これはちょっと気をつけねばいけないと、政治家や官僚が企業と結びついて私たちのカルチャーを好き勝手に蹂躙する、何らかのブレーキになることが必要なのだ。
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