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1955年の寒い朝、日曜学校に歩いて向かう途中、私は町の青年集会所からTutti Frutti を絶叫するリトル・リチャーズの声が流れてくるのを耳にした。あまりの衝撃に私は母親の手を振り払った。

ロックン・ロール。それまで歩いていた道から、ロックンロールが私を可能性の大海へと引きずり込んだ。少女時代の終焉から痛ましい思春期を通じてロックは私を守り、私を震わせた。エド・サリバン・ショーに初めてローリング・ストーンズが出演した時、私は生まれて初めて父と喧嘩をした。ロックンロールは守らなければならないものだった。1967年、サウス・ジャージーの家を出て自由に向かって旅立つバスに乗った時、ロックは私に力を与え、自分と同じような者がいることを教えてくれた。

当時ロックンロールとは仲間との一体感だった。コンクリートの裂け目から雑草が勢いよく葉を伸ばすように、抑圧されていたものが歓喜の花を咲かせた。私たちの音楽は連帯行動の意識を喚起した。アーティストは私たちの猛り狂った熱狂を新たな自覚へと高めてくれた。

当時デトロイトのMC5のメンバーだった私の亡くなった夫、フレッド・ソニック・スミスは、革命を創出する力である同胞愛を分かち合った。彼らは愛とエレキ・ギターで世界を救おうとしていたのだ。フレッドは音の自治国家を築いたが、そこには世の全ての煩雑さを生き抜くための憲法がなかった。

死の直前、1994年の冬、フレッドは私に仕事を続けるよう助言を与えた。いつか私の努力は報われると彼は信じていたのだ。そして静かな口調で言った。僕が授けたものをどうか慎ましく受け取っておくれ、と。

昨晩、私はREM、ロネッツ、ヴァン・ヘイレン、そしてグランドマスター・フラッシュ・エンド・ザ・フューリアス・ファイブと共にロックンロールの殿堂に入った。このイベントの前夜、私は多くの質問を自分に投げかけた。ロックという革命の分野で活動するアーティストが、ある団体から栄誉を受けてよいのだろうか?そもそも栄誉とは誰かに与えられるべきものなのか?私はそれを受けるに値するのか?

これらの問いと格闘し、そして今、良心が私をフレッドや彼のような者たちのところにいざなう。このような名誉を決して得ることのない孤高の魂たち。だからフレッドの名前で私は感謝して受け取る。フレッド・ソニック・スミスは彼らの一人であり、私は彼に他ならないから。ロックンロールを愛し、底辺からステージに這い上がる者たち。彼らは歴史を讃え、新たな者が作る奇妙な魔法の世界のために種を撒く。

彼らに属する人々は我々の文化の声。インターネットは彼らのCBGB。彼らのテリトリーは地球。どのように創造したいかを伝え、作品を広める。彼らは我々の政治プロセスに息を飲むような変革をもたらすだろう。連帯するためのテクノロジーを持ち、新しい党を組織し、慎重に候補者を選択し、企業の圧力から解放された人々。組織と再編成する潜在能力は空前無比。

人間の歴史は、理想に燃えて沸き起こり混乱のうちに挫折するムーブメントの繰り返し。光の子供たち。東方への旅。サマー・オブ・ラブ。グランジの季節。だが愚行を繰り返しそうになるその時に、私たちは踏みとどまる。

ロックンロールは母の手から私を新しい経験へと導いた。最後に全てを釣り合わせてくれたのは隣人たち。パスタを売る年老いたイタリア人女性の優しいうなずき。郵便配達人の挨拶。公証人とその夫人から受ける抱擁。そして私の家の前の通りを車で走っていく清掃作業員の叫び。「ヘイ、パティ、殿堂入りだって。オレたちのものだろ。」

私は微笑んだ。そして誇りを抱いている自分に気づく。隣人たちのもの。私の両親のもの。私のバンドのもの。フレッドのもの。そして私と共に歩む全ての人々のもの。

2007年3月13日
パティ・スミス

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愛とエレクトリック・ギター

By パティ・スミス - 2007年3月13日
Photo courtesy of Sue Rynski