クレイマー・レポート#9を掲載する。スポークン・ワードのパフォーマンスに関するウェインの記述が興味深い。アメリカ人とスウェーデン人。挨拶代わりのジョークがあたりまえな国民と、酷寒の地で生きるヴァイキングの子孫達では、「笑い」に対する姿勢が全く違うということか。ウェインの戸惑いを想像するとそれ自体何だか笑える。

クレイマー・レポート No. 9 (2002年12月)

最近スウェーデンという国がとても好きになりつつある。先月、毎年恒例の「スポークン・ワード・フェスティバル」に参加するためにストックホルムに行ってきたが、そこで全く新しい体験をしたんだ。

もちろん俺は60年代から詩をたしなんできたし、スポークン・ワードを音楽に乗せるということもやってきた。そういうのはたいてい、バンド・メンバーの一人として楽器を演奏し、ベースになるテキストに適切な音楽的効果を与えるという形で行ってきたわけだ。音楽的体験であると同時に文学的体験でもあり、俺が心底楽しみ、またこれからも続けていきたいと思っている行為だ。

だが、今回のストックホルムはバンドなしだったんだ。アコスティック1本で、物語の朗読に歌をからませるというパフォーマンスを、最初から最後までたった一人でステージに立って行うのは初めての体験だった。

俺が自己主張の強い人間だってことは疑う余地はない。で、クレイマーに自分のことを語らせるって余興をやらせたら、カネを払ってチケットを買う客がいるって誰か思いついたんだな。俺はその仕事を依頼され、そして引き受けたのさ。開催場所は400年前に建てられた劇場なんだが、メインテナンスがきちんと施され、現在でもありとあらゆる音楽や芝居のイベント会場として利用されているんだ。本当に美しい、すばらしい場所だった。

ロサンジェルスを早朝に発ち、朝の8時にストックホルムに着いた。時刻が早過ぎてホテルにチェックインできなかったので、街の中心部を散策し、コーヒーを飲みながらスウェーデン菓子をつまんだりして気楽な時間を過ごしていたが、しばらくすると時差ボケと疲れで参ってしまい、間もなくホテルに入ってそのまま寝てしまった。翌日もフリーだったので体力を回復し、土曜の夜のショウを迎えた。

実は今回一番楽しみにしていたのは、俺の親友で尊敬する師である、ジョン・シンクレアと仕事ができるということだったんだ。ジョンはちょうどアムステルダムを訪れていて、毎年行っているヨーロッパ・ツアーの準備をしているところだった。で、フェスティバルのプロモーターは、彼をストックホルムに呼んで参加してもらったら、すばらしい呼び物になると考えたわけだ。完璧だった。俺はアコスティックを弾いて、ブルースとブルース・ミュージシャンに関する彼の「学術詩」の伴奏をしたんだ。ジョンこそ真のスポークン・ワードの巨匠だ。ミシシッピ・デルタとその周辺地域の悲しい、あるいは可笑しい物語を語り、スウェーデンの聴衆を魅了した。

ジョンの伴奏を務めるのは本当にすばらしい体験だ。それ自体がチャレンジだからなんだ。つまり、ある感情を表現するけれど、それでいて俺自身の解釈に突っ走らないように自制しなければならない。こういう仕事に要求される自制が俺は好きだ。最も重要なのはテキストで、音はひたすらテキストに奉仕する。そうしていると最終的に、ジョンがストーリーに織り込んだ出来事に聴覚的情景を提供する自由を、俺自身が獲得することになる。そういうところが楽しいんだ。

ジョンとは午後6時頃出演していったん引き上げ、俺自身の10時半予定の出番のために再び会場に戻った。フェスティバルではよくあることだが、出演者は持ち時間をオーバーしがちで、各5分か10分の超過が最終的には大幅な予定オーバーになってしまう。そういうわけで、俺がステージに上がったのは12時近かったと思う。

人生どういう紆余曲折を経てその晩ストックホルムにいることになったのか、それを年代順に語っていくというのが俺のプランだった。昔のMC5時代、その頃俺の人生に起こったいいこと悪いこと、犯罪と刑務所の日々、そして現在に至り、今携わっている仕事のことなどを話すつもりだった。人生の各局面を、その時期を語るにふさわしい歌で描写しようというわけだ。

実を言うと、これがちょっとおかしなことになっちまった。

この年になっても俺は、何か新しいことをするチャンスがあれば喜んでそれを受け入れることにしている。何に対してもオープンな姿勢を保つためにそれは必要なことであり、その結果もまた価値あるものだ。

全てうまく進行しているようだったし、歌った5、6曲それぞれが聴衆から熱烈な喝采を受けた。ところがどういうわけか彼等、全然笑わないんだよ。むろん俺はコメディアンじゃない。その点については自分でもそう思うし、他人にもそんな風に思って欲しくはない。俺はウケをねらったりはしない。そういうのは本当に俺のやり方じゃない。そういうことはプロのコメディアンがやることだ。だが俺は、自分がユーモアのセンスはあると思っているんだ。この世を生きていく上で起こる悲喜こもごも、そのバカバカしさや皮肉を笑い飛ばして楽しむことを知っていると、自分では思っている。だから時には他人が可笑しいと思うようなことを言ったりもするわけだ。だから、今回のパフォーマンスの中でも何回か、面白い(と俺は考えた)ジョークを言ったんだよ。ところが、全然「しーん」としてるんだ。教会のネズミが小便してる音だって聞こえるくらいの圧倒的静寂だ。世界一ウケないコメディアンの生涯最悪の夜って感じだったぜ。ユーモア、少なくとも俺が伝えようとしていたユーモアは、慣用的表現を使い過ぎていたのかもしれないし、俺の話し方が生真面目過ぎたのかもしれない。あるいは言葉の壁があって、俺のジョークのニュアンスがうまく伝わらなかったのかもしれない。いずれにしろ、聴いていた人たちが俺を大爆笑な奴とは思わなかったことは確かだ。だが、みんな俺のショウを楽しんでいたようだし、最終的には質議応答に発展していくつかいい質問も発せられ、盛大な拍手に送られてステージを降りた。だから、あの夜のことは一応成功の部類に入れたいと思う。

ジョークに対する反応の鈍さについて後でシンクレアに質問したら、神経質過ぎるよと言われた。スウェーデン人って不思議な国民だな。また出演する機会があれば、クリーム・パイとソーダ水でもブチまけて笑いを取るか。

最終的には、スポークン・ワード/アコスティックのソロという表現形態のパフォーマンスは大きな可能性を秘めているという確信を得て、楽しい思い出と共にスウェーデンを離れた。だから俺の次のアルバムは、アコスティックになるかもしれないぜ?

俺とバンドは2003年の1月8日(水)から再びベイクド・ポテトでプレイする予定になっている。取りあえず期限無しで毎週水曜日にやる。音楽関係の特別ゲストや詩人、作家、役者も何人か呼んで、いろいろな形のパフォーマンスを披露してもらって面白いショウにするつもりだ。開演時刻は前回と同じく9時半と11時の2回だ。誰がゲスト出演するのか、毎週チェックしてくれ。

では楽しい休暇を。

ウェイン
2002年12月