クレイマー・レポート No. 7 (2002年10月5日)
ツアー。なんとすばらしい体験。1ヶ月で1万6千キロを走破したというだけでなく、俺たちは体調を崩すことなくそれを達成できたんだ。そして何と言っても最良のニュースは音楽そのものだ。バンドはベースにダグ・ラーン、ドラムにエリック・ガードナー、そして今回限りの特別メンバーとしてジム・ウィルソンがキーボードとギターで参加、すばらしい編成だった。彼等は毎晩エネルギーを出し切ってプレイし、サウンドは回を追うごとに良くなっていった。ツアーってヤツは時としてほんとに辛く、ほとんど苦行とも言えるような場合があるが、今回のこのツアーは俺がこれまで経験した中で最もトラブルが少なかった。それというのも旅行中ずっと俺たちをサポートし、必要な場合にはケツをケっ飛ばしてくれたマッスル・オフィスのお陰だ。毎晩プレイするのも全然苦にならなかった。
この後アメリカの他の場所とヨーロッパのツアーを計画中だが、自分が住んでる地域でギグをやって、夜は自宅のベッドで眠るというのも魅力的だ。ツアーもいいが、自宅近くのクラブで1週間に1回、1、2ヶ月の契約でやるってのも実に気持がいい。
ツアーはロサンジェルスのトロバドールで始まった。俺の新しいアルバムをラ イブで聴くために友人が多勢来てくれたのは本当に嬉しかった。その後サンフ ランに移動、シャスタ山と大ノース・ウェストの森林を見ながらシアトル、ポートランドと北上した。ポートランドはものすごく盛り上がった。
またここではテリー・キュリアーのレコード店、「ミュージック・ミレニアム」を訪れることができた。テリーこそ真の意味でのビニール・ジャンキーだ。彼とレコード・ビジネスの現況について語り合えたのは有益だった。レコード価格は現在明らかに高すぎる。昔のように1枚10ドルだった頃に戻らないものか。いい曲が入っていたとしても1,2曲なのに、レコード1枚に18ドル、20ドル払うのは法外だ。今の景気は新曲数曲のために20ドル、40ドル、60ドルを払うような状況じゃない。ネットでダウンロードし、家にいながら複製できる時代を迎え、レコード・ビジネスは永久に変貌した。再考を要する問題だと思うし、俺が考えるに、もっと内容が良質の、もっと低価格のレコードを、もっと多量に生産することが解決策だと思う。
ノース・ウェストから延々とドライブしてデンバーに到着。ここではブルー・バード・シアターで「メンフィス3」のためのチャリティー・ギグを行なった。この事件についてはHBOチャンネルや他のニュース番組を聞いて知っているかもしれないが、3人の若者が犯してもいない殺人罪に問われて南部の刑務所に投獄されているんだ。www.wm3.org にアクセスしてこの事件について読んでくれ。「ギグを行う場所の室温が38度」ってのは、ここデンバー以後、3週間後にロサンジェルスに戻るまで毎回続いた。デンバーからアイオワ州クリア・レイクまで再びマラソン・ドライブ、ここではかの有名なサーフ・ボールルームでやった。バディー・ホリー、ビブ・ボッパー、リッチー・ヴァレンスが飛行機事故で死ぬ前の晩にプレイしたので知られている場所だ。今回のツアーで俺の前座を務めたのはマザー・スペリアーだが、全ツアー中唯一の車の事故がクリア・レイクに向かう途中で起こった。彼らの車のタイヤがパンクしたんだ。それでクリア・レイクでは俺が最初に前座に出て時間を稼ぎ、彼らはタイヤを交換して到着しトリを務めたというわけだ。
ミネソタ州北部までドライブし、ラジオ・フェスティバルに出演、再び南下して俺が大好きな都市のひとつ、ミネアポリスに着いた。セブンス・ストリート・エントリーこそ、本物の地下ライブ・ハウスだ。音響も客も申し分なかった。その後シカゴに到着、ケイン・コーソというものすごくスタイリッシュなバンドが前座で出た。この夜は"Nelson Algren Stopped By" がそれまでと全く違う反響を得た。この歌はシカゴを歌っているから、ご当地では特別興味深いレスポンスがあったわけだ。この曲に関してオカシイのは、みんな俺に「ネルソン・オルグレンって誰?」ってきくんだよ、ハハハ。そんなこと尋ねられるなんて思ってもみなかったが、とにかく彼が誰だか知らなくてもこの曲は楽しめるんじゃないかと思う。つまり、死んでからめちゃくちゃに扱われたすごく気難しい男のハナシさ。俺に合ってるだろ?
次がデトロイト。いつものように「すばらしい」の一言に尽きる。モータウンを訪れると俺はいつも自分が「放蕩息子」だと感じてしまう。マジック・バスの音響は完璧、この夜はステージと少々離されていたものの観客との位置関係も申し分ない。デトロイトですばらしいのは、昔も今もこの町から感じる愛だ。大昔の仲間達と会うことができたし、テーブルに3世代のローディーが同席しているひとときもあった。俺たちは年老いた兵士さながらに、昔の戦いの手柄話をし、まだ元気に生きていることを喜び合ったんだ。深い感謝の気持ちがこの日の俺を支配した。それにロブ・タイナーの末娘、エリザベス・タイナーと会うことができた。彼女こそ俺の人生に与えられた贈り物であり、彼女のパパと俺が過ごした日々のことをエリザベスに語ってやるのは、近頃の俺の生活の中でも最もすばらしい時間なんだ。
次がクリーブランド。ビーチランド・ボールルームを経営するマークとシンディーは寛大なホストで、このツアーでも数少ないすばらしい家庭料理を振る舞ってくれた。隣の部屋では非常に優れたフリー・ジャズ・トリオがプレイしていて、ひところは若者が聴くにはあまりにアヴァンギャルド過ぎた音楽だったのに、それに熱心に耳を傾ける大学生達で満員の部屋を見て俺は感無量だった。すごく励みになった。
東海岸に向けて再び長いドライブ、ボストンも非常に盛り上がった。ケンブリッジの客の入りもよく、次の目的地ニューヨーク州へと南進。ニューヨークを訪れるのは去年の9月8日、マネージャーと共に貿易センタービルに入っているマリオット・ホテルに宿泊して以来だった。街は変わっていた。そして俺自身も。ロゥアー・イースト・サイド界隈(俺が以前住んでいた場所)を歩いたが、以前のような郷愁を感じることもなかった。前はニューヨークに戻ると昔の日々を懐かしんだものだが、もはや俺の心はそこにはない。現在生活しているロサンジェルスが、今では俺が最もくつろげる場所なんだ。
マーキュリー・ラウンジでのショウは楽しかった。アレックス・スナイダーマンと彼の新しいバンドが前座でプレイするのを聴くことができた。2番手はザ・プラスチック・ファンタスティックスという面白いバンドだった。その後マザー・スペリアーが相変わらずの凄いパフォーマンスを繰り広げたこともあり、最後に俺たちがステージに立った時点で客を盛り上げるのは至極簡単だった。ニューヨーク時代の古い友達がたくさん来てくれたのは本当にありがたかった。
次はボルチモアだったが、モーター・モロンズという、このツアーで俺が見た中でも最も面白いバンドが出てきた。バンドというより、楽器を配備した工場って感じなんだ。ガキンガキン、ズドンズドン、ってサウンドが、火花、ビート、キーキーいう音や怒鳴り声の不協和音と混ざり合って出てくる。女性2人、男性4人、粉砕機1台、掘削ドリル1機、電動ノコギリ1機、工業用送風機1台って装備のバンドは、見てるだけでも楽しかった。ダグ・ラーンも、ツアー中見た中で彼らが一番だといたく気に入っていた。
再び北上して、ニュージャージー州ニュー・ブルンズウィックのコート・タヴァーン。ここも雰囲気のいい地下のクラブで、「辛辣に、ただし公正に」って、すばらしいモットーが掲げてある。気に入った。この晩、レッド・ロドニーの2人の甥に会うという名誉を得た。2人とも善良ないい男で、自分たちの叔父と俺の関係をインターネット検索で初めて知ったという。俺たちはレッドがいかに偉大な人間、偉大なミュージシャンであったかをしばし語り合い、すばらしい時を過ごした。これもまた今回のツアーがもたらしてくれた天恵のひとつだった。
フィリーでのギグもすばらしかった。客の入りは上々で、一晩中いい音楽を鳴らしていた。その後南下してアトランタへ向かい、「グッド・モーニング・アトランタ」って、ツアーを行うミュージシャンにとっては物凄く朝早いモーニング・ショウに出演した。全く型通りのありふれたショウだったが、何千人という主婦や不眠症の視聴者に向かってプレイするのはそれなりに面白かった。この日は忙しいスケジュールをこなした。というのも、俺はこのツアーの全行程で、アップル・マック・ストアーがある場所ではデモを行うことになっていて、アトランタはそういう都市の一つだったからだ。面白くてしかも有益なデモにしようと、使用するサウンドの準備はあらかじめ整えてあった。グレンデイルというところで第1回目のプリゼンテーションを行ったが、その店内の壁にアップル・コンピューター社のモットーが掲げてあるのを目にした。その内容が驚く程俺自身の過去と似通っているんだ。読んでみてくれ。
アップル・コンピューター モットー
「社会不適合分子、反逆者、トラブルメイカー、ハミダシ者。物事を他人と違った角度から眺めた者。彼らはルールが嫌いだった。現状には決して満足しない者たち。彼らを賞賛してもいいし、批判することもできる。彼らを値踏みし、不信を表明し、あるいは祭り上げ、ケナす事も可能だ。が、唯一不可能なのは彼らを無視することだ。なぜなら彼らは世界を変革する者達だから。彼らは発明し、想像し、癒し、探究し、創造し、刺激する。彼らは人類を進化させる。ちょっとクレイジーな奴ら。だからこそ、真っ白なカンバスの上にアートを発見し、音のない場所で誰も書いたことのない歌に耳を傾け、火星を見上げて、あんなヘンテコな車輪付計測装置を思いつくのだ。彼らを頭のイカレたヤカラと見る者もいるだろう、しかし我々は彼らを天才だと考える。なぜなら、本当に世界を変えられるのは、自分たちが世界を変えられると信じているクレイジーな人間だけだから。」
これにはノック・アウトされた。俺が誰なのか、何をやろうとしているのか、これこそ簡略な言葉で表現するものだった。だからデモンストレーション最初の自己紹介で、俺が過去に作った音楽や現在マックで制作しているサウンドの話をした時、この内容を織り込んだ。MC5の革命の日々や、いろんなことに反抗して無理していた時代の話から、火星と車輪付計測機械の話題に持っていくのは至極簡単だった。俺はもともと機械いじりが好きでマックはすばらしい機械だ。マックとディジデザイン・プロ・ツールの力を利用すれば、ごく普通の人でも家庭で簡単にアートが創造できるということをデモを見に来てくれた人たちに実演してみせるのはものすごく楽しかった。まず簡単なリズムを録音し、それからギター、そしてベースのパートを加え、マルチ・トラックのレコーディングをどのように行うかを見せた。そこからが本当に楽しい部分で、集まった人たちの1人を歌った1,2行の歌詞をその場で書き、リード・ボーカルを録音した。それからオーディエンスにバック・コーラスをユニゾンで歌わせるんだ。みんなの喜んだことといったらなかった!プレイバックして自分たちの声を聴き、この音作りのプロセスがいかに簡単か、彼等は心の底から感嘆したようだ。俺はさらにミキシングのテクニックをいくつか披露し、締めくくりに日常生活におけるアートと創造性の重要さについての考えを述べた。参加者は全員楽しんでくれたし、あの体験が、社会に創造性を与え、またそれに貢献するユニークな能力を高める一助になってくれればいいと思う。各都市ですばらしい働きをしてくれたアップル・ストアーのスタッフに礼を言いたい。アップル、そしてディジデザインのみんな、俺にあの仕事を与えてくれて心から感謝するぜ。
またアトランタでは、旧友で親友の一人であるティム・シェイフに会うことができた。奴とはずっと昔からの知り合いで、すばらしい経験を分かち合った仲だ。恐ろしいほど卓越したベーシストであり、デトロイト時代はよくいっしょにプレイしたものだ。友達は皆年老いてすでに他界した者も多い。だから奴に再会して互いの友情を確かめ合うことができたのは、このツアーがもたらしてくれたもう一つのすばらしい贈り物だった。旧友というのは何物にも代え難い。
次にアラバマ州バーミンガムに移動、そして開放感に溢れた大都市、ニューオリンズだ。気温摂氏43度だぜ!ここにはいいラジオ局がいくつかあり、WOZZ-FMニューオリンズは中でもベストだ。すばらしいジャズ。ニューオリンズはまた、大酋長ジョン・シンクレアが住まう場所でもある。シム・シャム・クラブのギグではジョンが一番手を務め、ブルース研究をスポークン・ワードにした歌と音楽でオーディエンスを楽しませた。「2002年にニューオリンズのシム・シャム・クラブでウェイン・クレイマーとジョン・シンクレアがいっしょにプレイするなんて、一体誰が想像した?」と、オーディエンスに向かってジョンは語った。食い物はウマイし音楽は最高、すばらしい仲間。これ以上何を望む?
次がテキサスだったが、正直言ってあまり行きたくなかった。オースティンを除いてテキサスで客が集まったためしがない。だがダラスもヒューストンも以前よりはずっと入りがよかったので驚いた。さらに嬉しかったのは、ギグの後来てくれた人達みんなと話をした時の感触だ。俺が音楽でやろうとしていることが何なのか、それを本当に理解してくれる人たちが、草の根レベルで増えているという印象を受けたんだ。ギグ終了後来てくれた人みんなと話ができるというのは、ツアーしていて最もすばらしいことのひとつだ。みんな俺にとても親切で優しい。すごく感謝している。ダラスではパット・バロウズに再会することができた。奴はMC5の、と言うかMC5前夜、ずっとずっと昔のバウンティー・ハンターズ時代の、オリジナル・ベーシストだった。パットは今でも元気にイカレたフェンダー・ベースを弾いている。奴に会えたのもツアーがもたらしてくれた恩恵のひとつだった。オースチンのクラブ、イーモの10周年記念パーティーは盛大なイベントだった。メイカースってバンドの他にデトロイト・コブラスがプレイし、それからもちろんマザー・スペリアー。コブラスの女性シンガーは、「今晩、目新しいことは何も歌わないよ。あたしは酒とタバコとセックスとイエス・キリストを愛してる、それだけ!」って宣言した。気に入った。パフォーマンスもよかった。
ニュー・メキシコのアルバカーキーが次の目的地。一度もギグを行ったことのない場所だったが、いいクラブだったし、初めて会うファンに接することができたのは嬉しかった。そしてアリゾナ州フェニックス。ここではプロモーターのファン・ボビーがいいショウをアレンジしてくれた。ボビーは今回のツアーで数少ない正真正銘のプロモーターの一人だ。俺の経験から言うと、プロモーターってやつはクラブを渡り歩くツアーでは普通関係してこない。大体においてそういうレベルのツアーだとブッカーとクラブが存在するだけで、しかもクラブと言っても実際にはバーだから、ショウのプロモーションなんか普通はやらない。せいぜいちょっと雑誌なんかに広告を出して店を開け、様子を見るだけだ。確かに、一晩3,4バンドが出演し、1週間のうち6日間営業し、その地域の何百というバンドがそれぞれ独自のことをやろうとしているわけだから、そうなるのも当然だろう。だからこっちもそういう状況の中でベストを尽くすわけだが、誰かが現われて、現実的にプロモーションをかけ宣伝活動にエネルギーと時間を費やしてくれるというのは、めったにないことであり本当にありがたい。
最後のギグはサンディエゴで、ロサンジェルスには朝の4時半に無事戻ることができた。1万マイル、何千人というファン、そして数え切れないほどのモーテル。大変だったな、とみんなに言われる。しかし実際には、ジャック・ダニエルとヘロインとコカインと行儀の悪い取り巻き連中の存在さえなければ、ツアーというのはそんなにハードなものじゃない。1週間40時間を工場の組み立てラインや、モップがけや、セントラル・ヴァレーの果樹園で働くことに比べれば、ツアーの方がずっと楽だ。長時間バンに揺られ、機材とスーツケースの搬入・搬出を繰り返し、そしてあのパーキング・エリアで食う脂ぎったマズい食事の連続。しかし薔薇の園なんか期待するのが間違いだし、俺はいつでもまた出かける用意がある。このツアーは俺が頼んで実現したものだし、それができたことを感謝している。
ツアーに参加してくれたメンバー、特にマザー・スペリアーには礼を言いたい。ベースのマーカス・ブレイク、ドラムのジェイソン・マッケンロー、そしてギターのジム・ウィルソン。俺のバンドでキーボードとバック・ボーカルを務めてくれたジムには特別の金賞を捧げたい。今回のツアーで彼をバンドに迎え入れられたことは本当に幸運だった。ジムのおかげで俺は念願の4ピース・バンドを持つことができたんだ。今後どうやってジムの後釜を確保したらいいのか、難しい問題になるだろう。それから他にもツアーのスタッフとして、ジョナサン・オースチンがモニターを担当し、ジェイク・イギー・ダニエルソンがステージ・マネージャーを務めてくれた。2人ともハード・ワークをこなし、とてもよくやってくれた。
最後に、俺のバンド・メンバー、ドラムのエリック・ガードナー、ベースのダグ・ラーン、そしてギター/キーボードのジム・ウィルソンに最大級の感謝を捧げたい。彼らのおかげで俺はこの夢のツアーを無事終えることができたんだ。俺にとってこの世で最良のもの、それは共に仕事をする仲間と分かち合う友情、そして互いに抱く尊敬なんだ。
次のツアーを楽しみにしている。
ウェイン
2002年10月
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