クレイマー・レポート No. 22(2004年4月13日)
バンドが辿る道はいつも同じだ。そのことを誰も真剣に考えないのは全く驚くべきことだ。つまり本当に深刻に考えるってことだ。あの数多くのバンドにこの先何が起こる?彼らは一体どうなるんだ?
新しいバンドが毎週のように華々しくデビューし、その大多数はその後音沙汰無しになる。普通とても若い奴らで、一時的にハデに楽しんだ後、突如姿を消し、そこそこの生活を見つける。バンドをやってた日々を思い返し、いい思い出を残して終わった人生の一つの出来事として回想することだろう。だが、いったん「成功」の甘い汁を味わった奴らにとってはそうはならない。
このことは前にも何度か書いたと思う。カネを稼ぐということに関してプロのミュージシャンの生活が現実にはどういうものか、労働統計局のウェブサイトが如実に真実を伝えていると。今回俺は、名声それ自体とそれに払う高い代償について、もっと深く考えてみた。
「音楽業界の裏側」的番組が繰り返し放送され、似たような「これが全てだ」本も何百冊と出版されている。それでもバンドは更なるものを求めて次から次へと現れる。ハリウッド神話の力に魅せられ、それに参加するために多くの若者が嬉々として意気揚々とやって来る。バスで、飛行機で、車で、全米から、全世界から、毎日のように殺到する。純金の靴を履きたくて、パラダイスに到達したくて、「成功」するためなら誰とでも協力し、裏切り、寝て、ひどい仕打ちもする。彼らは皆ごく若い時、10代か遅くとも20代前半に、親友といっしょにバンドを始める。夢を描き計画を立て、数年間熱心に練習し、本当に真剣ならレコーディングするだろう。もしいい作品なら、エキサイティングなことが起こり始める。俺もそうだった。
ところが夢の実現であったはずのことが、最終的には悪夢に変わる。99.99パーセントの確率で、旅の終わりはそれだ。3、4年間ハデにやり、そして肉体的ダメージを残して(意識があればの話だが)無一文で終わる。このことを回避できたバンドはほんのわずかだ。そしてそのうちの更に一握りが、スポットライトの下で、それを現実的な一生のキャリアに発展させる。過剰に劇的な人生になる危険性を孕んだ非常に過酷なビジネスだ。一人一人に犠牲を課し、人間関係をめちゃくちゃにブチ壊す。
アートの道を志す者の気を挫くためにこういうことを言ってるんじゃない。それがきみの目指すところなら止めはしない。若い奴らが自分で自分の人生を切り開いていこうとするのを俺は応援している。ただ、それがもたらす危険について、知っておけということだ。
アーティストをやってるとさまざまなオファーが舞い込む。その一つが、美を渇望している世界に美をもたらしてくれというヤツだ。常にそうだったし、これからもそうだろう。アーティストの生活には予想外の曲折や数多くの試練が伴う。普通じゃない生活、しかし退屈しない人生。大きな報酬が得られることさえある。だがアーティストの人生における報酬とは、アートの創造プロセスであるべきだ。名声と栄光のビジネスではなく -- 落とし穴が潜むのはそこなんだ。ハリウッドはこのことを教えちゃくれない。ハリウッドは若い肉体を求め、それを得るためには何でもやる。奴らは血を必要としてるんだ、若い血を。
これは訓話で、俺は自分の体験を話している。が、同時に多くの友人や知り合いの経験でもある。世界中に数多くの知り合いがいるが、同じパターンを何度も何度も見て来た。
「俺達はやれるぜ。」
「俺達は特別だ。」
「特別」という考え方がどこから出て来るのか知らないが、それを信じる人間が大勢いるのは確かだ。リハビリ・センターには「特別」な奴らがゴマンといるぜ。
ほとんど全てのバンドがこの道を辿る。例外は片手で数えられる位しかいない。傷跡なしに名声を生き長らえるバンドはほんのわずかだ。それができなかったバンドのリストは信じ難いほど長く、毎週長くなっている。現れては消えていくバンド・・・ほとんどは消えていくだけだ。レコーディングのオファーは全て不利な条件だ。全てヒドい条件で契約させられる。そして全てのバンドが結局はレーベルを追い出される。実際、物事そうなるはずなんだ。全ては過ぎ去っていかねばならない。
ダンサーだろうが、ミュージシャンや映画製作者、作家や役者であろうが、アーティストが集まれば必ず同じことが起きる。パワーを求めて団結し、ゴールを定める。大きな投資が行なわれ、一定期間を経た後、それらのゴールが達成される。そしたら次は全てが崩壊するだけだ。それが自然の摂理だ。生まれ、生きたものは死ななければならない。物事の核は決して定まらない。
このことを受け入れるのは容易じゃない。俺にとってもそうだった。とりわけ全てが順調な滑り出しだった場合は。
最初はみんなが微笑みかける。つまらないジョークにも笑ってくれる。女も近づいてくる。みんなが自分といっしょにいたがる。毎日が誕生日みたいにプレゼントがひっきりなしに届く。すごい額の現金さえ目にすることもある。ジャーナリストは、音楽や政治や人生や神について考えを聞かせてくれと懇願する。本当に、全てがまったく最高なんだ。
若い時はそういうことが楽しくてしょうがない。若い頃は俺も思っていた。永遠に生きるみたいに、自分は全てにおいて絶対的に正しいみたいに。サイケデリック用語ではそういう態度を「無限力状態」って言うんだぜ。アル中になる大きな原因の一つでもある訳だが、そいつがやってくるのは普通もうちょっと後、いろんなことがうまくいかなくなり始めた時だ。
名前が売れてくると、あるハイな状態が忍び寄って来る。が、自分がハイになってるとは気づかない。グラス1杯のウイスキーを飲んだ場合、普通は自分が酔ってきたなとわかる。が、有名になってハイになってるとそれがわからない。名声がもたらす酩酊状態というのは、本人も認識できないくらい少しずつ進行する。それを飲んで酔っているのに気づかない。こういうこと全て、無意識のうちに起こり意識レベルの下で進行していく。単なる「感じ」に過ぎないが、やがてその感じがもっと欲しくなり、もっと必要になっていく。常識が失われ代わりに狂気が忍び込む。もっといい車が欲しい、もっと賞賛されたい、もっとイイ女とヤリたい、そして多くの場合、もっと大きな問題を抱え込む。
有名になって目立つことに対してあらかじめ自分の経験から準備しておけることなんかない。「有名入門」なんて学科は大学にない。「経験から学ぶ自学自習」ってわけだが、遅すぎる。あまりにも。
しばらくたった後、全てが霞んで消え失せる。そうなると決まっている。
自分が望むようになってはいない現実に直面しなければならないのはこの時点だ。バンドはかつての人気を失っている。売上は落ちる。新しい他のバンドが話題になってる。かつて周囲の人間が言っていたことと違って、カネは入り続けない。失望を感じ始める。生活はどんどん複雑になっていき、そこに酒とドラッグという鎮痛剤が入り込む。この致命的なペアの登場で摩耗率はグンと上がる。死んじまった、あるいは身体的ダメージを負ったロック・スターや映画スターの長いリストを見てみるがいい。全て起こるべくして起こることであり、そのインパクトは長年にわたる。
ダメージのほとんどは人間関係において起きる。始めは親友だったのに、それが生涯を変え人生を台無しにするほどの怒りで終焉を迎える。家族の絆は失われるが、それが口にされることはない。部屋の中にいてもみんな気づかないふりをするピンクの象だ。
失意と後悔、自分の失敗を他人のせいにして非難することが日常的になる。
VH−1テレビの番組で、80年代に活躍したバンドの再結成に関するいくつかのエピソードを観た。ジュールス・ホランドとヌーノ・ベッテンコートは再結成に対して非常に強い反対の態度を取っていたが、あれは一般人には理解できないと思う。根が深い感情だ。魂の深いところから湧いて来る感情だ。彼らは過去あまりにも苦い経験をしたために、それを現代に持って来るということが辛くてできないんだろう。とにかく、その過去に戻ることができないんだ。
俺には奴らの気持ちがわかる。長い間俺は怒りの感情のためにMTVを観ることができなかった。音楽ビジネスで知り合った全ての人間に対して怒りを感じていた。自分こそがトラブルの元凶だとわからなかったんだ。
ダメージを和らげる解毒剤はある、過去ではなく、今を生きることの中にある。最終的に人間として成長を遂げることの中にある。結局、アートを「実践する」ことこそが努力に対する報酬なんだ。アートは自画自賛の方法ではない。馬車の前にあらかじめ馬をつないでおけば、馬もすぐ動けるし、より重い荷を運べる。しかも、若い頃より実際いい仕事ができるんだ。アートは若さと関係ない。技巧と熟練は長い間の経験を重ねていくことによって身に付いていく。アートは生涯を費やして行なう仕事だ。ヒットを飛ばしたら止めてしまう行為ではない。
ミュージシャンになりたいなら全身全霊を傾けてやるがいい。音楽を勉強し、ビジネスでも自分を守ることを学ぶんだ。さもないと自分のキャリアを維持できない。映画を撮りたいなら、自分で脚本を書いて撮影しろ。画家やダンサーになりたいとか、会社を設立したいとか、なんでもいい、とにかく何かをしたいなら自分に義務を課して情熱をもって行なえ。全ての努力を傾け、持ってる全部費やして行なえ。だが、それを続けるために名声を求めるな。名声は得られない。名声を求めて益あった人間は少ない。
カネや名声を求めることは、それが目的の最初に来ない限りは問題ない。
アーティストとして(そして人間として)できる最良のことは、自分の活動がなんであれ、世界に貢献することだと思う。それこそが重要なことなんだ。
ウェイン
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