クレイマー・レポート、アイルランド/スコットランド編である。文中に登場するクリスティー・ムーアはアイルランド出身のシンガー・ソングライター。アイルランドとケルトの伝統音楽にロック/ポップの要素を加え、現代アイルランド音楽の新境地を開く。1970年代から80年代にかけて、プランクシティ、ムービング・ハーツのフロントマンとして活躍、U2やポーグスにも影響を与えたアイルランド・ミュージック・シーンの大御所。

クレイマー・レポート No. 13 (2003年6月11日)

ダブリンとエジンバラ

アイルランドへの移動はかなりの難路となった。パリからまっすぐイギリスを越え、土砂降りの雨の中フェリーに乗船、徹夜で海を渡り、日が昇る頃ダブリンに到着した。

ツアー中というのは些細なことでも必要条件が満たされているとありがたいものだ。その意味でダブリンでの仕事は旅するミュージシャンにとって天国だった。ホテルはギグを行う場所からたった1ブロックで隣はコイン・ランドリー。最も必要なインターネット・カフェと国際通話ができる電話機も1ブロック先にある。必要な道具類を買う店、レストラン、新聞販売所、みんな1〜2ブロックの範囲内だった。さまざまな種類の洋服屋、本屋、レコード店、楽器店が入っているショッピング・モールは徒歩10分の距離。ダブリンは物資調達の面で全く完璧な町だった。

天気も良好で、夜の霧雨を除けばロサンジェルスに似ていなくもない。そして俺にとってこれまでで最も興奮したのは、オスカー・ワイルドブラム・ストーカーの故郷の教区教会である、由緒ある「聖アン教会」を訪れることができたことだ。

そこで俺は知人を通じてアイルランドの偉大な叙情詩人であるクリスティー・ムーアに会うことができたんだ。最近クリスティーと俺の作品・作風がどことなく似通っているように感じている。少なくとも、優れた叙情詩に対する情熱、そして自分のコミュニティーに抱く連帯感は共通している。彼に出会えたのは全く予想外だったし、すばらしい驚きだった。たまたま居合わせた場所と理由の巡り合わせによってもたらされる、人生における貴重な出会いのひとつだ。温厚で真摯な人物で、俺たちは多くの点で分かり合うことができた。1曲いっしょに歌を書こうと約束した。なんという名誉だろう。

この日は新しい友人もできたし、同じ晩、ザ・ビレッジではいいギグができた。ある人間たちに初めて会った時、ずっと昔からの知り合いのように感じることがある。あるいは、相違点よりも共通点の方が多いと感じる、と言った方が適当かもしれない。

翌日はアイルランドの海岸線を北上してベルファーストまで行き、そこでフェリーに乗り換えてスコットランドに渡った。今回の旅で見た野原と緑の丘の総量と言ったら、大都市で生まれ育った俺がこれまでの人生で見た分を全部足し合わせたよりも多かったと思う。スコットランドは観光旅行会社が宣伝している通りの土地だった。緑豊かな大草原と親切な住民。

ライブのデキはよかったと思うが、聴き手はなんとなく引いているような感じだった。セットが進むにつれて彼らが俺たちの音楽を楽しんでいるのかどうか怪しくなってきたんだ。俺たちが聴き手に多くを求めていることは承知している。妙な音楽をやる場合もあるし、客は俺が誰なのかとか、どういう音楽を演奏するはずだとか、ある程度の先入観を持ってやって来ている。幸いなことに、俺たちのライブにわざわざ足を運んでくれる人間の大半は柔軟な耳の持ち主だから、少しくらい逸脱しても俺たちの演奏を心から受け入れてくれる。俺のギグは多分に刹那的なもので、計算されたショウ・ビジネスタイプのスタイルじゃない。その意味でジャズに近いと言える。あの夜、オーディエンスは腕を組んで遠巻きに立っているような感じだったから、ライトのせいで彼らの表情がほとんど見えなかった。が、演奏は大いに盛り上がり、セットが終了した瞬間に会場は嵐のような拍手喝采で大騒ぎになった。まるでダムが決壊し、セットの間に溜め込まれた感情の全てがいちどきに爆発したみたいだった。後で俺はファンの人たちと話をし、みんなで楽しいひと時を過ごすことができたんだ。

宿泊したのはスコットランドの伝統的な宿だった。ここでも牛と羊と鶏。そして静寂。完璧な、完全な静寂。この土地の大気は何かヘンだという話になり、車中その話題で持ちきりになる。何がおかしいのか結論は出ずじまい。それから、野原の中に広告の看板というものがおよそ一つもない。すごく奇異に感じられた。馬と犬と猫、鳥と蜂。ここは別世界。

車はイングランド地方へと向かう。

神の祝福を。
ウェイン