Back In The USA (Jan. 1970) Atlantic SD-8247
  1. Tutti-Frutti (Penniman/Alubin/LaBostrie)
  2. Tonight (MC5)
  3. Teenage Lust (MC5)
  4. Let Me Try (MC5)
  5. Looking At You(MC5)
  6. High School(MC5)
  7. Call Me Animal(MC5)
  8. The American Ruse(MC5)
  9. Shakin' Street(MC5)
  10. The Human Being Lawnmower(MC5)
  11. Back In The USA(Berry)
多くのファイブ関係者の間で、ランドゥーは今も「悪役」ということになっている。しかし、刑務所に送還される直前の混乱の中でジョン・シンクレアもランドゥーをプロデューサーに推し、メンバーも十分合意の上で決定したことである。彼らは革命から足を洗うことを欲し、ロック・バンドとして音楽業界とのつながりを回復したかったのである。この頃メンバーはすでにドラッグに蝕まれ、旧来のファンにも見離され、シンクレアは獄中、彼らは混迷の極地にあった。ランドゥ−はそんな彼らをクリーン・アップしようと努力し、メンバーに自宅周辺をランニングさせ、高タンパクの食事を取らせたりしたのだ。メンバーの評価によれば、彼はとにかくベストは尽くした、ということらしい。が、優秀なライターであったにもかかわらず、ランドゥーにはサウンドを「聴く」能力がほとんどなかった。全曲ボトムラインが薄い仕上がりはそのせいである。そして彼は完全主義者だった。誰かが1つでもキーを間違えれば録り直し、しかも全く同じように演奏しなければならなかったという。そういうことはファイブメンバーにとって全く経験のない苦行に他ならなかった。

また、バンドにおける権力関係が変わったのもこの頃である。MC5は元来ウェイン・クレイマ−のバンドであり、リーダーシップは常にウェインが握っていた。それがこのレコーディングの頃から「どうしていつもウェインの気に入るようにするんだ」ということになった。ウェイン自身の言葉によれば、「忠実な軍隊が反旗を翻した」のである。結果、バンドはよりフレッドのアイデアを重視するようになり、いわばウェイン/フレッドの共同企画体制に入った。だが2人の間には人間的確執はなく、幼ななじみの親友であり仲間だった。再びウェインの言葉を借りれば、2人は新しい「大人の関係」 の段階に入ったのである。

このアルバムは、アメリカにおけるよりむしろイギリスで好意的に受け入れられた。MC5はこの年初めて渡英するが、後に Stupidity で全英1位を獲得するパブ・ロックバンドの雄、ドクター・フィールグッドの初代ギタリスト、ウィルコ・ジョンソンもMC5に大きな衝撃を受けたイギリス人ミュージシャンの一人である。フィールグッドのデビュー・アルバム、Down By The Jetty は、ウィルコの強い意向により、MC5のBack In The USAを模したモノクロ・ジャケットでリリースされた。

さて、J. ガイルズ・バンドを知る人も多いと思うが、この頃彼らとファイブはギグを通じて知り合い、親しかった。そしてMC5の次にランドゥ−がプロデュースすることになっていたのが他ならぬJ. ガイルズ・バンドのデビュー・アルバムだったのである。しかし、Back In The USA がリリースされ、これを聴いたガイルズ・バンドは、直ちにプロデューサーの変更を決意。結果、彼らのデビュー・アルバム "The J. Gails Band" は、70年に同じアトランティックからアトランティックのハウス・プロデューサー、デビッド・クロフォードとブラッド・シャピロのプロデュースによりリリースされ、大ヒットとなったのである。このバンドはやがて70年代アメリカを代表する国民的人気バンドとなり、MC5と完全に明暗を分けた . . .