ピカソが言うのと同じだよ。「ああ!クソッ!こんな青い絵ばっかり、もうウンザリだ、なにか他のことをやってやる!」
そうならなけりゃいけないんだ。毛主席が言ったように「継続する革命」さ。

ミック・ファレン(ケン・シマモトとのインタビューより)

ジェイソン D. モンローによるポスト
2002年5月7日

現在マス・メディアで取り上げられているようなバンドはむろん問題外の外だ。ああいう連中は歯並びやプロポーションがいいから出て来ただけであって、昔の音楽を聴いては飽きもせず昔のスタイルのリサイクルに明け暮れている。アット・ザ・ドライブ・イン、ストリート・ウォーキング・チーターズみたいなバンドだ。自分らではインパクトのあるものは何も生み出せない連中だ。

確かにモーター・シティー・ファイブはかつて最も偉大なバンドだった。けれど僕らのように、ビートやノリのいいリズム以外のものを音楽から得たいと思っている人間、カッコだけのマッチョや、ギター・マスターベーションじゃなく、メロディーやメッセージや、なぐさめを求めて歌を聴く者は、むしろソロになってからのウェインの音楽の方に惹かれるんだ。彼が60年代にやってた男性ホルモンにドライブされたみたいなジャズ・インプロビゼーションより、確固たる信念、揺るがぬ決意と真実、そしてソウルをもって歌われる、今のブラザー・ウェインのソロ・ワークの方に魅力を感じるんだ。

もしあんたがウェインのソロ作品を、ウォズがプロデュースした、あの大昔のコザカシイ白人ネオ・ファンク・オタクっぽい一連の歌で判断してるなら. . . . それでも曲自体はものすごくよかったんだぜと言いたい。プロデュースは、残念ながら、賞味期限を過ぎちゃってたけど。

だから僕が強調したいのは、どうかウェインの最近の作品にちゃんと耳を傾けてくれっていうことなんだ。どの曲も、MC5の「シェイキング・ストリート」や「ルッキング・アット・ユゥ」なんかと立派に肩を並べる歌なんだぜ。頼むから、ウェインのものすごい歌詞をちゃんと読んでくれよ。神様ウェインに祝福を、アーメン、ラマラマ・ファ・ファ・ファ。

過去に生きるのはやめろよ。ウェインは昔よりずっと、を生きてるんだ。はるかに力強く、はるかに生き生きと。彼からなんかインスピレーションを感じてくれよ。グランディー・ボールルームにしがみつくのはやめてさ。あんたにとっても遅すぎることはないと思うよ、自分のケツを蹴っ飛ばすのは。だからウェインはほっといてくれ。

(追伸:あんた達の時代にヒップだった、あのやたらトんでる「ネガティブ・ガールズ」だけど、彼女達に恋した挙げ句に死んでった男達の死体が今じゃそこら中に埋まってるよ。)




ジェイソン D. モンローによるポスト
2002年5月9日


僕はベン・エドモンズが誰かも知らないし、1969年まで生まれなかったから、ファイブをライブで見たこともない。でも彼らのレコードを一生愛し続けるファンだし、ビデオを見たし、このバンドがいかにとてつもない偉大なバンドだったか喜んで「証言」するよ。

僕が言いたいのは、この僕にとっては、ミスター・クレイマーの現在の歌が伝える経験、エネルギー、成熟の声は、僕に大きな感動やなぐさめを与えてくれるし、それはMC5の「ハイ・スクール」や「ブラック・トゥ・コム」にもひけを取らないすばらしい音楽だってことなんだ。一人のアメリカ人が自分の意見を述べただけだよ。別にかまわないだろ?

ただ僕はウェインを守りたかった。彼のソロ作品がすごく好きだから。(前回に投稿した中で触れた、あのやたらディジタル・ソフィスティケートされた数曲にはちょっと引けるけど。)それに思うんだけれど、ウェインのことを「昔(だかいつだか知らないけど)はクールだったが、かわいそうに今はな」みたいなナンセンスをブチまける年取った奴って、ウェインの最近の曲をちゃんと聴いてないんじゃないか。1曲1曲よく耳を傾けてみろって。どれを取ってもすごい内容なんだ。よくあるけど、ファンが自分のアイドルのミュージシャンに手紙を書いて、「昔のガッツとソウルが今は失われてしまった」みたいなこと言う時、自分をアップデートできないでフケ込んで燃え尽きて創造性もなくなってるのは、実は自分たちの方なんじゃないの?自分を変えられず進歩発展できない人間って、自分たちを追い越して前進していく他人に対してすごくイジワルだよね。ボブ・ディランが歌ってた。「どんどん生まれ変わっていくことができない人間は、どんどん死んでいく」って。

ウェインのライブを見た。たった3人のバンド、でもそこらのカッコだけのパンクとか、スウェーデン・メタルやラップメタル・バンドが束になってかかってもかなわないような、とてつもないエネルギーとパワーを軽々と出してるんだ。それでいて、胸を締め付けられるみたいな、その繊細な感情の力って言ったら、僕がこれまでに聴いたどんなライブだって足元にも及ばない。

あんた達がロング・ヘアーでグランディにタムロしてた時に生まれてなくてすみません。でもだからと言って、僕があんた達よりファンの資格が劣るなんてことは絶対ないはずだ。文句があるなら受けて立つよ. . . 勝利するまで . . .

(自分で自分の言ってることが分かってない奴より)

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ENGLISH

このサイトを見てくれている人で、ウェイン・クレイマーのホーム・ページの掲示板をチェックしている人はどのくらいいるんだろう。

最近そこで興味深い議論が展開された。事の発端は、60年代からの古いMC5ファンと思われる人の投稿で、それはウェインに対して向けられた「昔はあんなにワイルドでカッコよかったのに、今じゃすっかりオトナシクなっちまったな」という趣旨のメッセージだった。そしてウェインのソロ作品はよくない、「自分のケツを蹴っ飛ばして」グランディの昔に戻れと言ったのである。この人物、Dennis Tomich と名乗っているけれど、デニス・トンプソンの本名である。真偽は分からないけれど、もしかするとデニス本人かもしれない。

するとこれに対し直ちに敢然と立ち向かった人がいた。明快な文章で上記のウェイン批判を斬った。

と、それに対して別のやはり昔のファイブ時代からのファンとおぼしき人が、このウェインの弁護者に対し「ファイブをライブで見たこともないくせに。クダラナイこと長々と書きやがって、自分で自分の言ってることがわかってないんだろう。オマエ、なんかベン・エドモンズみたいに聞こえるぜ。」と投稿した。(ベン・エドモンズは、60年代からMC5と近しくしていたファイブ・ファン(というか、昔のシンクレア・コミューンの一員)のロック評論家である。)ただしこの人、「でもオマエの文章ってクールだ。もっと読ませてくれよ。」と結んでいるのが愛嬌だけれど。

そしてこれに対して件のウェイン弁護者は、さらに2通目の反論を投稿した. . .というわけなのだが。

どうしてこの問題をここでクローズ・アップしたかというと、MC5とウェイン・クレイマーの「折り合い」をどうつけるか、日本のMC5/クレイマー・ファンの中にもある種の当惑があるのではないかと思ったからだ。「ファイブ時代と今の自分は別の人間」と言い切るウェイン。しかしそれではMC5の、あのとてつもないエネルギーとワイルドなパワーに惹かれるファンは置いていかれてしまうのだ。MC5のウォール・オブ・メタル・サウンドを愛する人は、ではウェインのソロ作品、例えばスポークン・ワードの「ソー・ロング・ハンク」に、どう向き合えばいいのか?その答えをこのウェイン擁護の士の辛口の明快な論評が与えてくれるのではないかと思ったのだ。

連絡したところご本人から直ちに返事が来た。「ウェイン党員」を名乗る「歌詞重視」というジェイソン・ディミトリ・モンローという名のアメリカ人の青年だった。話が大きくなってしまってちょっと戸惑い気味だったけれど、このサイトに彼の論評を日本語で転載することを了承してくれた。以下、その完全対訳を掲載する。