60年代アメリカ MC5はデトロイトに君臨した

国家権力はこのバンドを抹殺しようとした

超大国アメリカを震撼させたカウンター・カルチャーと反戦運動の

彼らはシンボルだったからである

音楽ジャーナリズムは最初MC5を無視し やがて酷評した

汗と油で汚れた工場の町 デトロイトの記事より

ウェスト・コーストのフラワー・ムーブメントの方が読者を喜ばせたからである

一般市民はMC5を憎んだ

彼らが粗暴でセックスとドラッグを信奉し とうてい理解不可能だったからである

他地域のバンドはMC5と同じステージに上がることを拒否した

反政府と革命を掲げるバンドと混同されることを恐れたからである

レコード会社はMC5を忌避した

彼らがもたらすのがトラブルと暴力と破壊に他ならなかったからである

60年代アメリカ

ミシガン周辺のファンを唯一の例外とし

およそありとあらゆる人々がMC5を不吉なものと忌み嫌ったのである


70年代パンクがブレイクした中で再評価がなされ、今日多くのロック・ミュージシャンからMC5がリスペクトを受けているのは、その音楽性もさることながら、彼らが60年代カウンター・カルチャーの急先鋒として権力と闘ったという事実に負うところも大きい。何らかの反を掲げるのがロックのスピリットである以上、革命の戦士だったMC5の行動は時代を越えてロッカー達の共感を得るのである。ヘンリ−・ロリンズが書いた通り、ミック・ジャガ−が鏡の前でポーズを取っていた時、MC5は国家権力と闘っていたのだ。レイジ・アゲインスト・ザ・マシ−ンが政治集会で歌っていたのは、キック・アウト・ザ・ジャムズなのである。

またMC5は、ホームタウンと深い関わりを持つバンドでもあった。アメリカ合衆国ミッド・ウエスト大工業地帯の中心都市、かつて繁栄を謳歌した自動車産業の都、「ミシガン州デトロイト」である。ファイブが活動した60年代後半のデトロイト社会と言えば、「路上には国家警備隊が徘徊し、屋根の上には狙撃兵が身を潜め、中心部では常に暴動による火災が発生している」(ミック・ファレン)激動の60年代を象徴する、騒然とした工業都市であった。彼らはここで、地域の警察、さらには FBI と壮絶な闘争を繰り広げながら、自分達の音楽スタイルをつちかっていったのだ。今日、反社会性やヴァイオレンスのポーズを掲げるバンドは多い。しかし彼らのうちのどれだけが、ファイブが遭遇したような過酷な状況でロックを続けていくだろうか。

だが、革命と闘争が支配したバンド史にも関わらず、こうしてさまざまなエピソードや事件を集めてみて、MC5のストーリーとこの時代がいかにロマンチックであったか、あらためて思う。コルトレーンが流れ、マリファナの紫煙漂う中で、バロウズの一節を口ずさみながら、彼らは宇宙と政府打倒と世界転覆を夢見たのである。MC5ほど過酷で奇異な運命を辿ったバンドは、ロック史を紐解いてもどこにも見当たらない。MC5の物語は神話であり、この先世界のいかなるロック・シーンにおいても2度と起こり得ない、ロマンチック・ロック・アドベンチャーなのだ。

彼等の音楽は、単独に、唐突に存在するのではない。あらゆる価値観が瓦解しつつあった超大国の一つの時代の中にあったからこそ暗い輝きを放つのである。だから当バイオグラフィーには、同時代のアメリカにおける史実を挿入してみた。ファイブが疾駆していたこの動乱の時代、アメリカで何が起こっていたのか、彼らがどんな闘争を戦ったのか、MC5の音楽に興味を抱く人がそれも知って下されば幸いである。

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