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この頃シンクレアはすでにビートニクのカリスマ的リーダーであり、詩人、ヒッピー・キング、カウンター・カルチャーのシンボルとしてマスコミにも知られた存在だった。アートのイベントやワークショップを主催し、ローカルのアンダーグラウンド・ペーパー数紙にコラムを持ち、絶え間なくマリファナを吸う、この落ちこぼれの教師はまた、ジョン・コルトレーンに代表されるフリー・ジャズを熱狂的に愛好していた。シンクレアはロブ・タイナーのアイドルであり、彼が主催するアヴァンギャルド・ジャズや詩のイベントに、ロブはたびたび参加していたため、面識はないもののウェインはロブの話しからシンクレアのことをよく知っていたという。ある時シンクレアは、フィフス・エステイトというアングラ紙のコラムで、ロック・ミュージシャンのことを、コルトレーンはおろか、ジャズを聴こうとしない非創造的で想像力に欠けるヤカラである、と批判した。これに対し、MC5は論戦を挑む。なぜならロブの影響で、バンドはフリー・ジャズに傾倒するようになっていて、そこからすでに大きな影響を受けていたからである。この論戦が縁で、MC5は当時シンクレアが主催していたアーティスト・ワークショップという集団がコミューンを営んでいた家の門を叩き、地域のアーティストに開放されていたそこの練習場をリハーサルに使用させて欲しいと頼む。結果、リハーサルする彼らの音楽を聴いたシンクレアは、完全にこのバンドに魅了されてしまうのである。間もなく彼はさまざまな紙面にMC5を賞賛する文章を送り始める。
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