この第1期MC5はやがて人気を得、65年秋にデトロイトで行われたデイブ・クラーク・ファイブのショーで前座を務めている。

バンドを去ったロブに、ある日ウェインは偶然遭遇した。久しぶりに見るロブは髪を伸ばし、ハーモニカを吹いていた。その豹変ぶりに驚くウェインに彼は言う。「ローリング・ストーンズって知ってるか?」ロブはストーンズを通じてロックに目覚めていた。ベースはてんでダメなロブだったが、「歌が歌える」というロブの意外な才能を、この時点で初めて他のメンバーは発見した。かくしてロブ・タイナーはMC5のボーカルとしてバンドに返り咲くのである。

この頃からMC5はますます、いわばアヴァンギャルド志向を強め、フィードバックを多用したラウドなサウンドに傾倒していった。ベースのバロウズとドラムのガスパーはこの点で意見が合わず、まずバロウズが脱退してしまう。しかしちょうどこの頃、ロブが同じウェイン州立大学で美術を学ぶマイク・デイビスと知己になる。ロブと同い年、ウェインより4歳年上のマイクは、フロリダやニューヨークで生活したこともありロブを通じてマイクと知り合いになったウェインは、彼が語るアメリカの他の大都市の話にすっかり魅了された。R&B、ブルースなどの音楽に親しんでいたとは言え、ベースを演奏した経験は皆無のマイクだったが、ウェインは彼を新しいベースに据えることを決意し、バンドに迎えた。やがて、ドラムのガスパーも脱退、そこでウェインは他のバンドでドラムを叩いていた、友達のデニス・トンプソンをスカウトする。デニスの家庭はもともとプロのミュージシャン一家で、彼は10歳にもならないうちからドラムを叩いていたベテランだった。

ここにMC5のファイナル・ラインアップが完成する。
(写真左から)

ウェイン・クレイマー: リード・ギター
デニス・トンプソン: ドラム
フレッド・スミス: リズム・ギター
ロブ・タイナー: ボーカル
マイク・デイビス: ベース

Photo courtesy of Emil Bacilla

この頃の90%がカバーで、ヴァン・モリソン/ゼム、ヤードバーズ、フー、ストーンズ、ジェイムス・ブラウンなどをやっていた。

2月、ジョンソンは北爆を開始、結局この戦争が終わるまでに、第2次世界大戦で使用した爆薬の総量を上回る爆弾をベトナムに投下する事になる。ベトナム軍のそれをはるかに上回る規模で行なわれたアメリカ軍の殺戮と残虐行為によって、アメリカ兵はベトナムのどこに行っても市民から敵視され、兵士の風紀は乱れ、いつ果てるとも知れない泥沼にはまり込んでいくのである。数万に及ぶ青年が徴兵を拒否して戦争反対を表明し、数多くの反戦集会やデモが行なわれるようになり、4月のベトナム反戦平和行進には、2万5千人が参加した。

同じ2月、キング牧師と並んで公民権運動のカリスマ的存在であったマルコム・Xが射殺される。ただし暗殺者は白人の人種差別主義者ではなく、マルコム・Xが黒人を裏切ったと考えたブラック・ムスリムのメンバーだった。この年には黒人による人種暴動はさらに増加し、8月にロサンゼルスのワッツ地区で発生した暴動では34人が死亡した。

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