カナダのロック・ウェブジン、Mohair Sweets の掲載許可を得て、2000年1月号に掲載されたフューチャー・ナウ・フィルムズ監督、デヴィッド・トーマスとの対談の完全対訳を掲載する。
Translation of the interview with David Thomas (Mohair Sweets Vol. 5, Jan. '00) Used by permission.

「モヘア・スウィーツ」誌 Vol. 5
"Future Now Films Kicks Out The Jams!"より
フューチャー・ナウ監督 デヴィッド・トーマス インタビュー


モヘア・スウィーツ(以下MS):戦況はどう?

デヴィッド・トーマス(以下DT):壮絶だよ。格闘してる。だが僕らは正しいことをしてるんだ。これは正しい闘いなんだ。だからがんばってやってるよ。

MS: そもそもどうしてこのプロジェクトを始めようと思ったのかな?

DT: 長い説明、短い説明、どっちがいい?

MS: とりあえず短いのでいこうか。

DT: オーケイ。つまり僕らは、このストーリーは残さなくちゃいけないって思ったんだよ。MC5というバンドが短い期間存在し、多くの人に衝撃を与え、大きな影響を与えたっていう話を伝えなくちゃいけないってね。ていうのも、僕はこのバンドがだんだんロック史から消えつつあるっていう事実を痛切に感じるようになったんだ。確かに彼らは伝説として残っている。でも、写真はどこに
?ビデオは、映像はどこにある?いいかい、「キック・アウト・ザ・ジャムズ」がCDでリイシューされたのは、何と1991年なんだぜ!彼らは重要なバンドなんだ。僕は人生のある時、MC5に大きなインパクトを与えられたんだよ。生まれたのが遅くて彼らをこの眼で見るのには間に合わなかった。今42で、ストゥージズを始めて見たのが1973年なんだ。

MS: ミシガンの生まれ?

DT: 違う。シカゴで生まれて、セント・ルイスで育った。ストゥージズを見たのもそこだ。それもある、つまり、ミッド・ウェスト出身だってことでデトロイト・ロックに親しんできたんだ。テッド・ニュージェントとかアンボーイ・デュークス、ボブ・シーガーといったミュージシャン、それからグランド・ファンク、ああいうバンド全部。そういうのがミッド・ウェストを縦横無尽にギグして回ってたんだよ。僕はみんな見てきた。ブラウンスヴィル・ステーションなんか70年代始めから中頃にかけて15回くらい見たんだぜ。ミシガン・ロックとかデトロイトのもの全てが身体に染み付いてるんだ。僕の美的感覚なんかもそういうものからつちかわれた。MC5のことだって、2,3歳年上の奴らが凄いバンドだったなぁ、ってよく話してるのを聞いてたから、実際にレコードを聴く前から彼らが伝説的バンドだって知ってたんだ。

MS: そうなるよね。クリームみたいな雑誌もあったし。

DT: そう、そうなんだよ。1972年か73年頃購読してて、いつもMC5の名前が載ってた。そいうこともあってファイブのことは凄くよく知ってたんだ。

MS: 確かにファイブの神秘性ってのは持続的なんだよな。MC5聴いた後って、どのバンドもファイブを基準に判断しちゃうんだよ。

DT: 僕もだ。プロダクションの共同経営者でもある妻のローレル・レグラーも同じで、彼女はMC5の映画を作れ作れって、何年も僕に言い続けてたんだよ。最初に言い出したのが93年か94年じゃなかったかな。で、1995年に全く別件の出張で彼女はデトロイトに行った。当時働いてた法律事務所の仕事でね。少し遅れて僕も彼女にデトロイトで2,3日合流したわけだ。で、デトロイト市内を軽く取材して回ったんだよ。デトロイト暴動なんかの背景をね。その時にさ、壁画を見たんだよ。手短かに言うけど、MC5を称える壁画が公共スペースにアートとしてあったんだよ。キック・アウト・ザ・ジャムズLPの内ジャケからコピーしたメンバーの顔が描かれてる壁画なんだ。実際には大きな窓なんだけど、それを星条旗の赤、白、青に塗りつぶして、「キック・アウト・ザ・ジャムズ」って曲のタイトルが書かれてて、メンバーの顔の周りに星がデザインされてるんだ。で、僕は通りを隔てた図書館に行き、あの建物は何ですかって訊いたら、昔ハドソンズ・デパートだった、って教えられた。

MS: なるほど。

DT: 始めはピンとこなくてさ、へえ、そうなんですか〜とか言ってたんだけどそのうち、待てよ、ハドソンズ?どっかで聞いたぞ、MC5になんか関係のある場所じゃなかったかな?って。その時はまだ、シンクレアの「ギター・アーミー」を読んでなかったからね。だけどとにかく面白いと思ったから、同じ日にローレルをそこに引っぱって行ったんだ、その壁画を見せにさ。そしたらまさにその日が、デトロイト市の職員がその公共アートを塗りつぶす日だったんだよ。僕らは2人して、MC5の壁画が文字通り塗り込められていくのを目の前で目撃したんだ。デトロイトには撮影で行ったんじゃないからビデオ・カメラさえ持ってなかったし、あまりにも唐突に始まったからどこで使い捨てカメラを買ったらいいかさえわからなかった。そのくらい突然始まっちゃったんだよ。ただ手をこまねいて立ってるだけ。そのアートが消えていくのを見守るしかなかった。で、シカゴへ戻ってすぐにMC5のバンド史を調べ始めたんだ。その時点で、なんか僕らがたまたまその瞬間にその特定の場所にいたのは、すごく特別の理由があって宇宙レベルの力に導かれたんだ、みたいな気持ちになってたね。あの出来事が僕の中で一種象徴的意味合いを持つようになったんだ。だって、ちょうどあの時間にあそこに居合わせなかったら、一生目にすることはなかったわけだろ?で、彼らはあれを塗りつぶし、時が経って埃に覆われ、それでオシマイさ。誰かが掘り起こし、白日のもとに再び蘇らせでもしない限りは。

MS: 興味深い話だね。ロブ・タイナーの死後、92年に彼へのトリビュートで盛り上がったのと同じ感じだな。それまでは、ラジオもMC5なんかほんと流さなかったからなぁ。だって、つまり、デトロイトなんだぜ、どうしてファイブをかけないんだろう!

DT: そうなんだよ。

MS: デトロイトの「ロック」専門ラジオ局なんて言ってもさ、たとえばニュージェントが出てきて自分のことしゃべって、ニュージェントの歌を流して、それでファイブの曲は全然かからない。少しは話すんだよ、ちょっとは。でも、思ったよ、これ全然オカシイぞって。だって、アメリカ全土からMC5ファンがやってきちゃ、ヒル・ストリートのファイブが住んでた家とか見に行ってるんだぜ。(注:ホワイト・パンサー党はアン・アーバーのヒル・ストリートに本部を置き、そこが60年代後期のMC5の住まいとなっていた。)メンフィス詣でと同じなんだよ、サン・スタジオに行き、スタックス・レコード
が建ってた場所に行ってみる、と。MC5ゆかりの場所に敬意を払う人も中にはいる、と。でも大半の人々はそんなもの無視するか、どうでもいいと思ってるかなんだよね。理由はよくわからないけど。

DT: 理由はいろいろあると思うよ。その一つとして、バンドがしたことに関する論争ってのがあると思うね。つまり、MC5ってものすごく人を怒らせたんだよ。彼らは人々の感情をむちゃくちゃ傷つけたんだ。解散の仕方もブザマなもんだった。ロブ・タイナー追悼コンサートのビデオを何回も見たけど、その中でウェインが5人のメンバー紹介をしててね、死んだロブのことも紹介するから5人なのさ。その時言うんだよ。「MC5は多くのすばらしいことをしたって人は言う。でも俺たちは、よくないこともたくさんした」って。それはまぎれもない事実なんだ。そういうことがあるから、たとえばラジオ局なんかもMC5を流さなかったりするんだよな。だけど実のところは、ホントを言うと、もう一つの理由があってさ(笑)、主観的な見方だとは思うけど、同意してくれるかなぁ、つまりMC5の音楽って、まだ断然有効で、いまだにラジオ局の奴らをビビらせてる、ってことなんだ。

MS: (笑)同感だね!

DT: そう思うよ、ほんとに。もう3,4年もこのドキュメンタリー・フィルムのプロジェクトに没頭してきて、そう確信するようになったよ。なんだか最近、MC5に何らかの関連があるもの以外はあんまり聴かなくなっちゃったね。特にMC5を離れたいって思う時以外は他のものって聴かないな。こんな風に考えるてるのは多分僕だけだろうと思うけど、彼らのことを、アメリカに存在したバンドの中で最も偉大なロックンロール・バンドじゃないかって思うようになったんだよ。

MS: 賛成だね。言えてると思うよ。

DT: ベルベット・アンダーグラウンドのファンなんだよ、バーズだって好きなんだ。それほどじゃないけれど、ニルヴァーナだってファンだと言える。ラモーンズも大好きさ。ラズベリーもトミー・ジェイムスもションデルズもみんなとても好きだ。シャドウズ・ナイトからモンスター・マグネットまで好きさ!それに、チャック・ベリーやあのテのものもすごく好きなんだ。でも、結局行き着くところ、究極の、なんて言ったらいいか、ロックンロール・エクスタシーの頂点を見せてくれたのは、やっぱりMC5なんだよ。

MS: うん、そうだよね。ファイブってそういうバンドだよ。

DT: ここ数ヶ月間、必死で何をしてたかっていうと、いわばゲリラ的営業活動をしてたんだ。ゲリラ宣伝活動さ。インターネットからいろんな資料を引き出しながらね。僕らのホームページ(www.futurenowfilms.com)がアップされたのが去年の10月で、ちゃんと稼動するようになったのはクリスマスが過ぎてからなんだよ。

MS: 制作はどこまで進んでるの?

DT: メインの部分をあと3分の2くらい撮影しなくちゃならない。だから多分にゲリラ撮影状態なんだ。つまり、撮影可能な状況になったら出かけてって少し撮り、カネがちょっと入ったらもう少し撮り、それからちょっと編集して、って状況だね。6分半の予告編を製作してそれを持って営業に回ってるよ。もっと前に作った予告編も1本あるから、この2本を抱えてかれこれ2年もカネを出してくれそうなところを回ってるのさ。

MS: 訪問先は、アート関係と個人ベースの出資者かな?

DT: その通り。イリノイ・アート・カウンシルから助成金を受け、「スタジオ・フィルム・エンド・テープ」って、つまりフジ・フィルムのディストリビューターなんだけど、そこからも補助金を出してもらった。それプラス、個人ベースの出資がいくらか。最初の1年半の費用はすべて自腹だよ。ヒドい時なんか、電気はまだ停められてないから、ガスがストップされてもホット・プレートで調理すればなんとかいけるぞ、みたいな状態の時もあったんだ。膨大なリサーチをして、資料を集めにデトロイトまで何回も足を運んだよ。話に聞いてたロブ・タイナー追悼コンサートの時に上映された例のフィルムがあるだろ、あれを手に入れたくてさ、製作に関わった人間たちを捕まえるのにホント苦労したよ。ある男を訪ねていくと、あいつのことは話したくないとか、こいつはこれを持ってるはずが実は持ってなかったとか、あいつはあれを持ってたはずだが、別の人間は違う風に記憶してるとか、そんなんだよ、わかるだろ。ほんとにいろんなことを整理しなくちゃならなくて、しかもこっちは全くのヨソモノなんだ。

MS: スコット・モーガンとは話した?

DT: うん、グランディ・ボールルームの内部で彼をちょっと撮影したよ。もともとデニス・トンプソンを撮るのが目的だったんだ。96年の10月だったかな。デニスを撮影するのはその時が初めてだった。グランディの現在の管理者には前もって連絡しておいて、ほら、あそこは今は封鎖されて差し押さえられてるから、事前に了解を取って中に入れてもらったんだ。それで内部を撮影することができた。で、その関連であらかじめコンタクトを取ってた人がゲイリー・ラズムッセンとスコット・モーガンを知ってて紹介してくれたんだよ。すごいボーナスだった。2人がデニスの撮影の終わり頃姿を現したんだ。それでグランディの中を少し歩いて回るシーンに彼らも加えることができた。すばらしかった。スコットって本物の紳士だぜ。3人とはそれ以来ずっと連絡し合ってる。

MS: スコットはすごく協力的だろう。

DT: その通り。彼ってすばらしい人だよ。僕らがデトロイトに行くたびに、WXYZラジオDJのデイブ・ディクソンが番組に出演させてくれるんだけどね、資金を募るために映画の宣伝をしなよって。で、2,3回同じ番組にスコットが出てくれたんだよ、デイブといっしょに番組をホストするみたいな感じで。ほんとに楽しかったな。

MS: 他の関係者もそうだろ、マイク・デイビスとかウェインとか、彼らも協力してくれてるよね?

DT: 完璧協力的だよ。このプロジェクトでいちばん最初にコンタクトを取ったのがジョン・シンクレアとウェイン・クレイマーだったんだ。つまり、露出度は彼らが一番高かったからね、僕らにとって。ジョンが詩の朗読のためにシカゴに来た時、初めて彼に接触したんだけどね、彼が最初に言った言葉が、「イカれてるよ、きみたち。ツェッペリンの映画でも撮ってなさい。あっちもラウドなんだから。」

MS: ヤだよな、ツェッペリンなんか!

DT: うん、そう。1日かけてジョンと話して説得したよ、これは本当にやる価値のあることなんです、って。納得してもらえるまでね。それ以来ジョンは凄く協力してくれて助かってるよ。そのすぐ後ウェインに連絡を取って、それからデニスとマイケルにコンタクトした。そう、その他にね、タイナーの遺族とシグリット・ドバット、彼女は当時フレッドの奥さんだったんだ、彼女たちもものすごく協力してくれてる。ちょうどこの前、10月にデトロイトとアン・アーバー周辺でベッキー(・タイナー)とシグリットのインタビューを撮影したところだよ。アン・アーバーのヒル・ハウスのあたりを散策するシーンとか入れてさ。

MS: すごいな!

DT: うん。

MS: あのあたりは今でも学園都市なの?

DT: そう、学生の町だよ。いいシーンが取れた。彼女たちが言ってたんだけど、当時20から22人の人があそこに一緒に住んでたんだって。16か18室くらい部屋数がある一軒家なんだよ。現在の住人の中にもあの家の歴史を知ってる人がいたな。トランス・ラブの館、ホワイト・パンサー党の本部、レインボー・ピープル党の家ってね。

MS: ストゥージズ蝋人形館!

DT: (笑)そんなとこだよ。で、家の歴史を知ってる住人の中に若い女性がいてさ、MC5のことも知ってるんだけど、自分がかつてのウェイン・クレイマーの寝室に住んでるってことは知らなかったわけだ。撮影当日、ベッキーとシグリットに教えられるまで全然知らなかったんだよ。それで彼女の庭先のポーチですばらしいショットが撮れた。撮影技術で言うシネマ・リアリズムってやつで、まったく何も手を加えず現実に進行していることをそのまま撮影したんだよ。ベッキーとシグリットがこっちにいて、反対側にこの20か22歳くらいの若い女性がいて、彼女たちの間に交わされたすばらしい会話を撮れたんだ。つまり、1968年、60年代に、ちょうどその女性の年齢でこの館に住んでいた、それがどういう生活だったかを2人が語るんだよ。監督冥利につきるすばらしい撮影だった。ベッキーは出演してくれただけじゃなくて、当時のいろんな思い出の品を惜しみなく提供してくれたんだ。写真、アルバム、スクラップ・ブック。すごかったのが、バンドがヨーロッパをツアーで回ってる時にロブが彼女に書いてよこしたたくさんの手紙なんだ。おかげで彼らのヨーロッパでの行動や様子がわかってとてもありがたかったよ。

MS: 民主党大会関係はどうなの?あの時のMC5を撮影した映像ってあるのかな。

DT: ある。やっとのことで探し当てた。まだまだもっと集めていかなくちゃいけないんだけど、写真はものすごくたくさんあって、それプラスそれほど長いものじゃないけど、とにかく映像が見つかった。これがなんと、合衆国陸軍電信部隊が撮影したものなんだぜ。つまり政府の資料として撮影されたんだ。

MS: ベン・エドモンズは助けてくれてる?

DT: ベンは資料を持ってきてくれるし、協力的だよ。このプロジェクトを始めた時は僕らまるでヨソ者の転校生って感じだったね。つまり僕らが何者か誰も知らないし、デトロイト出身者でもない。だからいつだって最初は「誰?アンタら?」って反応がくるんだよ。

MS: 俺たちの縄張りで何してんだよ。

DT: それ。MC5のことを否定的に言う人は多いんだ。やめた方がいいよ、そんな映画作るの、ってね。そういうリアクションなんだよ、普通。なんかこう、疲れたみたいな感じ。MC5活動中に彼らに起こった出来事や、解散後どうなったかってことに起因してると思うんだけど。ファイブの昔の話を聞きたいって言うと、みんなすごく慎重になるんだよね。たぶんMC5というのは、メンバーを直接知る人やその音楽に触れた人たちをとてつもなく深いレベルで根本的に揺り動かしたんだと思うね。「あのバンドがいかに私の人生を変えたか、語り尽くすことはむずかしい。彼らは私の頭の中を根こそぎ作り変え、目覚めさせ、私の意識を改革し、私を打ちのめし、そして世界に向かって叫び声をあげたのだ!」という種の言うコメントを何度も何度も数え切れないくらいビデオに撮り、撮影し、電話で聞いたよ。「特にすばらしい夜には全くのスピリチュアルな体験だった。エクスタシーそのものだった!」みたいに話すんだ。そういう言い方をするんだよ、みんな。他のバンドやミュージシャンに関して、こういうコメントは聞かないよ、普通。

MS: ところで、きみたち、このプロジェクトにかかる前は何をやってたの?映画を撮ったことはあったのかな?

DT: もともと音楽関係なんだよ、僕は。ラジオと、それから自分でも音楽をやってた。それプラス、コマーシャル・フィルムの仕事もずっとしてたんだ。実際コマーシャル・フィルム・エディターとしてすごく長い間働いてた。パートナー兼プロデューサーの妻のローレルの方は、ジャーナリズム、マネージメント、コマーシャル・フィルム・プロダクションの仕事をしてたんだ。だから僕らは2人とも、シカゴのコマーシャル・フィルム業界をすごく長い間渡り歩いて来たわけさ。好き勝手にね!

MS: 好き勝手にされたんだろ!(笑)

DT: (笑)好き勝手にされて、こっちも多少好き勝手にさせてもらったんだよ!

MS: で、どう考えてるの、つまりこの映画は最終的にどういう形でリリースされるのかな?

DT: 劇場公開を目指してるんだ。このバンドの映像を最初ちょっとだけ入手したその時から、これは正真正銘信じ難いストーリーだって思って、こいつは何としてでも劇場公開しなければいけないって決心したんだよ。それが唯一の正しいやり方だってね。たとえば他の似たような映画があるよね、テルミン、偶像ニコとか、R. Crumb の映画とか。どれもちょっと変わりダネのアーティストを撮ったドキュメンタリーで、どれも劇場公開された。この種の映画はみんな、R. Crumb なんかは特によくできてたけど、どれもそこそこの興行成績を残したんだよ。だから僕らのこのフィルムだって、って思ったわけさ。あとひとつには、MC5の莫大なエネルギーの美学をありのまま高らかに映し出す映画が作りたかった。で、それを成し遂げるには、100パーセントじゃないにしても少しでもそれに近づくには、大スクリーンに映写しなければならないって思ったんだ。それしかないんだ。そりゃ、ビデオにしても面白いのができるとは思うよ、家で見るビデオとして見てもらえるとは思うよ。近所の貸ビデオ屋でさ、フーとか、フーのキッズ・アー・オーライトとか、メタリカ、プリンスのビデオとか、ドアーズのドキュメンタリーなんかといっしょに借りてもらえるとは思うんだよ。

MS: けど、映画館に座ってファイブのサウンドがでかいスピーカーから流れるのを味わうのに比べたら、ってことだよね。すごい体験だよ、それ!

DT: そういう結論に達したんだよ。本物のMC5の映画が見たい、大スクリーンで見たい、って。映画館に座ってあいつらをデカいスクリーンで見たいって!

MS: 証拠が見たい、と。

DT: その通り。実際、これを始めた大きな動機がそれだね。自分たちが見たい映画なんだよ。そして他人が見るにも値するだろう、と。このバンドはあまりにも長い間秘密のベールで包まれていたからね。

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