上はフェスティバルの日刊紙で、1月30日付紙面にデビッドとローレルのインタビューが掲載されている。デビッドの気に入りのロック・ムービーがリストアップされているそうだ。

下は、フェスティバル事務局の当作品担当者で世話役のビクトリア・エケグレン嬢。ご覧の通りの北欧美女である。空いた時間に自宅に招待してくれたり、タクシーを呼んでくれたり、さまざまにお世話になった。

デビッドとローレルの簡単な挨拶の後、満員の観客を前に映画は始まった。冒頭映し出されるのは現在の荒れ果てたグランディ・ボールルームの内部。このシーンで映画が始まる事はジョン・グリフィンのレビューであらかじめ知ってはいたが、その荒廃した情景には本当に驚いた。内部はまさに瓦礫の山で、かつてここに世界中からロックの大スター達が集結し、燦然と輝くライトの下で夜な夜なロック・コンサートが繰り広げられていたとはとても信じ難い。グランディが閉鎖されここまで荒れ果てたのはデトロイト市内のスラム化が原因であり、失われたものの大きさに冒頭から胸が痛む。

その後ウェインをメインの語り部にして物語は進む。ライフルを傍らに語るデニス・トンプソン、マイク・デイビスは自宅であるアリゾナの牧場からの参加で、陽に焼けた顔に刻まれた深い皺にあらためて歳月を感じる。ウェインの現在の容姿は映像や写真でメディアに多く流れているし会った事もある。マイクの最近の写真もルミナリオスのCDに載っているし、彼がソロで歌った曲を初めて聴いた時は「マイクってこういう声だったんだ!」と感動したものだ。デニスの比較的新しい写真もウェブ上で数枚見た。しかしマイクとデニスの近影を動く映像で見たのは全く初めてで感激した。ロブ・タイナーも、心臓麻痺で死亡する数年前、80年代末のインタビュー映像で登場するが、何だかユーモラスな仙人みたいなのだ!

このドキュメンタリー作品を考える時、どうしても2000年に日本でも公開されたジュリアン・テンプル監督のピストルズ・ドキュメンタリー、「ノー・フューチャー」(原題 "The Filth and the Fury")と比較してしまうが、あそこでは現在のメンバーの顔は闇に隠されて全く写し出されなかった。現実回避に思え、バンドのメンバーに「若いうちに死んでいて欲しかった」と言ってるみたいな手法に反感を覚えたものだ。しかし、このMC5ドキュメンタリーにおいては、デビッド・トーマスのカメラは、生き残りの老兵を真正面から見据え、等身大のメンバーをありのままに写し出したのだ。

映像と写真がフラッシュ・バックのように次々と現われ1回観ただけでは断片的な記憶しか留められないのだが、例えば67年のデトロイト蜂起と68年の民主党大会という2つの暴力事件の展開はやはり凄い迫力だった。ロックとオーバーラップした実写映像の力は圧倒的で、この時代を知らない世代でもアメリカを始め世界各国が震撼した激動の60年代を実感するだろう。そしてジョン・シンクレアのカリスマ。魅力的な声と話し方の持ち主であることは知っていたけれど、その存在感はやはり凄いものがある。リドリー・スコット監督の「ブラック・レイン」に出て来るヤクザのドン、若山富三郎の存在感と迫力に似て、若い時にこういう人物に出会ってしまったら、その圧倒的カリスマに感化され、確かに人生が変わってしまうに違いない。
ジョン・ランドゥーがインタビューに応じて出演しているのにも驚いた。制作過程で数多くの関係者にインタビューと取材が行われたが、作品中に使用されたのはごく近しい関係者のみ、その中には2枚のオフィシャル・アルバムそれぞれのプロデューサーも含まれていた。ジェフリー・ハスラムはファンの評価も高い人だし出てきても当然という感はあったが、とかく「悪者」扱いされているランドゥーが出演を了承したのは、ウェインの強い説得があったからだそうだが、彼としても語っておきたいことがあったからだろう。"They hired me."(「彼等が僕を雇ったんだ。」)と語るランドゥーの眼には涙がにじんでいるように見えた。バック・イン・ザ・USAレコーディング中のスチール写真が出てきたが、うつむき加減のメンバーの悲痛とも見える表情が痛々しかった。

また70年ファン・シティー・フェスティバルの映像が残っていたのにも驚いた。ミック・ファレンはその発起人として写真のみで出演、一瞬だったけれどカッコよかった。ローナン・オライリーと一緒に映っている映像も入っていて、彼は非常にミステリアスな人物なのでとても興味深く観た。

そして72年のウェンブリー・ロックンロール・フェスティバル。ドクター・フィールグッドのビッグ・フィギュアが述べていた「顔を金色に塗りつぶしたギタリスト」というのを自分はずっと何となくフレッド・スミスかと思っていたが、それは実はウェインであり、フレッドの出立ちは胸に大きく「SS」と書いた銀ラメ、銀色マントのスーパーマン(のデキソコナイみたいな)・コスチュームだった。(このヘンテコな衣装に身を包んだフレッドは本当に幸せそうで、観客から笑いが漏れる。)この時ロブ・タイナーの容姿も妖気を帯びて、フィギアが「一度見たら忘れられない奴ら」と評したのもうなずける。

それからウェインとフレッドがたった2人で出かけていったヨーロッパ・ツアーのライブ映像。ギターを弾くフレッド・スミスの、助けを求めているかのような絶望的表情が忘れられない。フレッドのインタビュー映像も数カ所出て来るが、積極的な話し方で、そういう場面では寡黙な人という印象を持っていたので意外だった。

やがてドラッグに蝕まれてバンドは分裂、崩壊していくわけだが、最終的にセンチメンタルに終わらせていないところがいい。哀愁はあるけれど、決して感傷に陥らないモーター・シティー・ロックンロール版アメリカン・グラフィティーである。MC5への熱い思いを込めて製作されながら感傷に溺れず、一方的な思い入れに突っ走ることなく、ファンでなくても十分興味深く見られる映画に仕上げた制作者のプロフェショナルな作品作りにデッカイ五ツ星を送りたい。

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