March 31, 2004
The Detroit News
"MC5 in turmoil yet again"
Article written by Susan Whitall/The Detroit News
Translated and reprinted by permission of the author and the publisher

2004年3月31日
「デトロイト・ニュース」
スーザン・ウィットオールによる記事

MC5 再び騒乱の渦中に

デトロイト・バンドのドキュメンタリー・フィルムDVD
待望のリリース直前に発売差止め

2003年10月31日ハロウィーンの晩 -- かつてデトロイトのヒッピー達が「ゼンタ元旦」と呼んでいた日 -- シカゴの映画製作者デイビッド・トーマスとローレル・レグラーは、制作に数年を費やしたドキュメンタリー映画、「MC5:実証」をデトロイト芸術劇場で上映した。

この伝説的デトロイト・バンドが、彼らの主題歌とも言える「キック・アウト・ザ・ジャムズ」をデトロイト北西部のコンサート・ホール、「グランディ・ボールルーム」でライブ録音してから35年が経過していた。

31日の上映会では、MC5を実際に見たことはないが彼らを崇敬する若いファンが、白髪のオールド・ファンに混じって多数訪れた。ファイブと共に時代を生きた古いファンは、爆発的エネルギーを発散するバンドのライブの模様と、その足元にひしめく数千の若者を映し出したかつてのグランディの映像、そして荒廃し打ち捨てられた現在のグランディのシーンを目の当たりにし、人目をはばかることなく涙した。

しかし、RCA/BMGが、短いプロモーション上映を行った上でリリースを予定していたこの映画のDVDは、発売日の5月4日を目前にして先週突然、MC5の著作権を管理するワーナー・チャッペルにより、元バンド・メンバー、ウェイン・クレイマーの名のもとに、発売が中止された。

MC5と近しくしていた人々にとってそれは、1972年のバンド解散を髣髴とさせる、トラウマとも言える出来事だった。この解散劇を当時のローリング・ストーン誌は「夢はモーター・シティーに散る」と報じたのだった。

ピースとラブと永遠のロック・スターダムが、35年の歳月を経てなぜ今再び揺さぶられているのか?パチョリの芳香が漂い、全てを共有し合った60年代、MC5の歌は全てメンバー全員の名前でクレジットされていた。そのため、彼らの誰もがライセンス撤回を要求できるのだ。

デトロイトのリンカーン公園におけるボーカルのロブ・タイナーとギタリスト、フレッド・ソニック・スミスの殴り合いで始まり、1972年、ロブがイギリス・ツアーに同行することを拒否してタイナー家で行われた取っ組み合いのケンカで幕を閉じたバンド史は、動乱そのものだった。MC5の物語が映画化されたのも、バンド史自体が波乱万丈のドラマだったからだ。

60年代中頃、若きMC5はメンバー全員が揃いのシャツに身を包み、他の多くのビートルズ風ガレージ・バンドと何ら変わることなくVFWホールでライブを行っていた。

彼らが他のパーティー・バンドとは一線を画する、ラウドでクレイジーで革新的な音楽とパーソナリティーによって、デトロイトの若者の心をつかんだのは、ラス・ギブが1968年にオープンしたグランディ・ボールルームのハウスバンドになってからのことである。

デトロイトのベビー・ブーム世代にとって、MC5の魅力を言葉で説明するのは難しい。だからこそATTの映像は見る者の心に触れるのだ。この映画はバンドのヒストリーと同時に、60年代を生きたけれど当時を忘れかけている人々、あるいはその時はまだ生まれていなかった人々に、この時代がどのようなものであったかを映し出している。

クレイマーは「伝説」と呼ばれるのが嫌いだという。しかしMC5がその域に埋没して久しい。クリームのようなスーパー・グループがグランディのステージでプレイするのをヤジり倒し、ワイルドでパワフルな地元デトロイト魂を発散しながら、彼らはやがて熱狂的なファン層を築いていく。そして1968年、エレクトラ・レコードの目に留まることになる。

このバンドが悪名を馳せたのは、「キック・アウト・ザ・ジャムズ」と、この歌に含まれた卑猥な言葉、60年代の過激な政治思想、そしてジョン・シンクレアとホワイト・パンサー党との繋がりがあったからである。

ウェイン・クレイマーがこの映画の配給を差し止めたことを、他界した2人のメンバー、リード・ボーカルのロブ・タイナーとギタリスト、フレッド・ソニック・スミスの遺族は否定的に受け止めている。

「ローレルとデイビッドにいつも言っていたの。この映画製作であなた達が辿って来た道は、MC5が歩んだ道と同じだわ、って。」タイナー未亡人、ベッキーは語った。「MC5解散がどんなものだったか、イジメ、圧力。何一つ変わっていない。」

この点でクレイマーとタイナー夫人の意見は一致している。「トラブルが付いて回ることになってるのさ、俺達は」ロサンジェルスのオフィスからクレイマーは電話で語った。彼と夫人でマネージャーのマーガレットは、生存する元MC5メンバーがロンドンで行ったイベントを記録し自ら制作したDVD、「ソニック・レボリューション」を7月にリリースする予定だ。

クレイマーはまた、生存するメンバー、デニス・トンプソンとマイケル・デイビスと共に、DKT/MC5 というバンド名でツアーを行う予定も持っている。

メンバー2人が他界したにも関わらず彼らがMC5という名前を使用することに、遺族は不快感を表明している。

フレッドとパティ・スミスの息子で、デトロイトをベースに活動するミュージシャンであるジャクソン・スミスもまた、ATTのリリースが停止されたことに失望している1人である。

「ほとんどマンガだね」スミスは語る。「実録・偉大なMC5。実録・偉大な人生。実録・その他偉大なことたくさん。 ...で、 実際の本人たちより遥かに立派な実録映画ができちゃったわけだ。」

DKT/MC5 のウェブサイトが、亡くなった彼の父、フレッド・スミスやロブ・タイナーの名前を全く載せていないことに、デトロイトのバンド、ブラック・イン・スペードのメンバーであるスミスは苛立を隠せない。

あるファンがウェイン・クレイマーのメッセージ・ボードに「DKT/MC5 のツアー開始の前座をブラック・イン・スペードに務めてもらったら?」と書き込んだのを見た時、スミスは自分が発言するチャンスだと思った。

「ブラック・イン・スペードが前座で出てくるチャンスなんかありっこないよ、ってはっきり伝えるために書き込みしたんだ。」スミスは言う。彼はまた遠回しにではあるが、彼の家族とクレイマーとの間に存在する確執をほのめかした。彼の書き込みはマーガレット・クレイマーによって削除された。「このフォーラムで個人攻撃は許さない」という理由で。

かつてグランディ専属であった著名なポスター・アーティスト、ゲイリー・グリムショウは最近サンフランシスコから郷里デトロイトにUターンしたが、彼もクレイマーのDVD発売中止アクションに不快感を示している。

グリムショウは、ATT のロゴと並んで、クレイマーの「ソニック・レボリューション」DVDのパッケージ・デザインも担当した。

「ウェインのDVDのデザインを引き受けた時、何か問題が発生するなんて夢にも思わなかった。つまり彼がそのDVDを、ATTに対抗する唯一のオフィシャルMC5フィルムにするつもりだったなんてこと。わかっていたら彼の仕事は引き受けなかっただろうと思う。」

6年の苦しい歳月を経てようやく映画を完成させたトーマスとレグラーは、4月の上映会と5月のDVD発売、さらには同月末にデトロイトで予定されていたプレミアまでも中止しなければならなかったことに怒りを覚えている。

2人はMC5のライブ映像を苦労して丹念に収集した。それらのクリップはファンの自宅屋根裏を含めさまざまな方面から集められ、グランディやウェイン州立ターター競技場、ベル・アイルでのラブ・インその他、多くの場所でバンドがライブを行う様子を映している。その中には、政府の調査資料として撮影された、1968年シカゴ民主党大会と並行して行われた抗議集会でプレイするMC5の鮮明なカラー映像も含まれている。

昨日、映画の現在の状況を問い合わせたが、トーマスとレグラーは弁護士に指導されたコメントを発表しただけだった。「当作品の上映と配給は現在停止されている。困難な交渉が行われており、そのためこれ以上はノーコメントである。」が、この発表に先立ちレグラーと電話で話した折、彼女は電話口ですすり泣いていた。

一方ワーナー・チャッペル音楽出版社の態度はどうかというと、同社はこの映画にMC5の楽曲使用許可を出していないわけだが、ライセンシング部シニア・ディレクターのパット・ウッズはこちらの電話に回答してこなかった。

ATTを「ライセンスを受けていないブートレグ」と呼んではいるが、作品中クレイマーは事実上のナレーターであり、映画の冒頭で黄金色のポンティアックGTO を運転しながらデトロイト市街やリンカーン公園を回り、ルート66沿いのレストランの駐車場で、どんなきっかけでバンドが結成されたのかを語っている。

しかし彼はソニック・レボリューションとDKT/MC5 のツアー・プランの話がしたいようだ。このツアーではマーシャル・クレンショウやレモン・ヘッズのエヴァン・ダンドゥらを含むさまざまなシンガーが交代でリード・ボーカルを務めるという。

ATT をめぐる状況を質問するとクレイマーは、ライセンスを受けていないブートレグの話はしたくないと答えた。

MC5が持っていた最大の魅力のひとつは、自分たちの信条に対してさえ常に不遜とも言える態度を取っていたことである。

映画の中でクレイマーは、当時起こったある出来事について語っている。ウェイン州立大学近くでメンバーが共同生活を営んでいた住宅の一室でたまたま窓の外に目をやると、バンドのバンに爆弾が投げ込まれて燃えていた、という。

作品中クレイマーはこの事件のことを、今にしてみるとすごい楽しかったね、と笑い飛ばしている。

今回の発売中止で、MC5の伝説を信奉する若いファンはとりわけ失望している。ミシガン州在住でクリームの編集者である31歳のブライアン・ボウイは、「MC5Rules」というハンドル名でクレイマーのメッセージ・ボードにも時々書き込みをしている。

「ファイブの熱狂的ファンだけれど、彼らのコンサートを一度もライブで経験したことのない僕みたいなファンは、DVDの発売が中止になってものすごくがっかりしてるよ」とボウイは語る。「彼らのステージ・パフォーマンスや、実際どんな動きをしてたかとか、とても大切なことなんだ。そういうのって音楽を耳から聞くだけじゃわからないだろ?」ギタリスト、ウェイン・クレイマーはMC5のメッセージ、という言葉を好んで使い、それを若い世代に伝えたいんだとしばしば口にする。若者達はMC5のメッセージを、「ラウド・ロックが伝えるピース、ラブ、野性的パワー」ととらえるか、あるいは「人間関係は結局全て破綻する」と解釈するか。

「若い奴らがどう思うかなんて、俺にわかりっこないだろ」とクレイマーは言う。「常に答えを期待しないでくれ。答えられないことだってある。」

この映画をめぐる法的論争の今後について尋ねると、「先のことなんかわからんね。」と答えた。「それがわかればみんなでハリウッド・パーク競馬場に行って大もうけしてやるぜ」

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