Interview with Pat Burrows by Ken Shimamoto
ケン・シマモト(以下KS):土曜日のギグ以前にウェインに最後に会ったのはいつだったんですか?
パット・バロウズ(以下PB):ものすごく長い間会ってなかったよ。電話では連絡し合ってたけどね。3,4年前にダラスで再会できるはずだった時もあったんだが、たまたま俺が町を離れてて会えなかったんだ。けど電話ではある程度のコンタクトを保ってたね。
KS: 6,7年前、ケン・ケリーのウェブジン、「アディクティッド・トゥ・ノイズ」に掲載されたインタビューで読んだんですけど、ウェインは「誰かパット・バロウズの居所を知ってたら教えてくれ」って話してましたよ。
PB: 先週再会した時、奴はホントに嬉しそうだったね。ずっと会ってなかったし . . . 俺はサン・アントニオに移ってあそこに3年くらいいて、それから結婚してまたここダラスに戻った。その頃ウェインは女房のマージョリーと別れて、彼女はどっかに戻ったんだな、俺は知らなかったけど。で、その後なんかの縁で奴と連絡がついたんだよ。
KS: と言うことは、その後かなり長い間連絡を取り合ってたってことですね。
PB: う〜ん、まあ4、5年てとこかな。バンドをやめて俺はいったんミシガンを離れたけど、また舞い戻って、その時は数年間コンタクトがあったね。で、俺がダラスに移ってからは音信不通になった、長いこと。要するに付かず離れずのつきあいなんだよ、俺達は。ウェインって男はものすごくクールな奴なんだ、全くの自然態でさ、誰にでも好かれるって人間だね。奴と俺はいつだってクールだった。ほんと、先週再会した時だってウェインは「あのな、謝りたいことがあるんだよ。」なんて言うんだぜ、俺は「謝ることなんかないよ、特に25年も前に起こったことでなんか。若気のイタリかなんか知らねえが、俺達いつだってクールだったろ、お前はいつだって俺に親切だったよ。」って言ってやったよ。奴はいつもそういう態度なんだ、それとフレッド [・スミス] もな。
KS: じゃ、テキサスには15年くらい住んでるんですか。
PB: もっとだね、18年くらい。
KS: 現在のご職業は?
PB: ダラスの連邦準備銀行で働いてるよ。
KS: MC5に加わったのは64年の冬でしたよね?
PB: フレッド、ウェイン、俺、それからボブ・ガスパーって奴でMC5を始めたのさ。
KS: リンカーン・パークで。
PB: リンカーン・パーク、サウスゲイト、テイラーってあたりでな。デトロイト郊外だよ。
KS: バンドでプレイするのはそれが初めてだったんですか?
PB: それまでにも複数のバンドでやってた。
KS: ブリティッシュ・インベイジョンに刺激されたみたいに?
PB: いや、最初の頃はブルースやR&Bばっかりやってたんだよ、ストーンズ、初期のストーンズみたいに。ロックを始める前、奴らもブルースだったろ?「ザ・スパイダー・エンド・ザ・フライ」みたいな歌をカバーしてな。俺達がやってたのもそれだった。その頃ほら、あのR&B/ロック・コンサートの映像を集めた映画、「T.A.M.I.ショー」、あれをウェインといっしょに観に行ったんだよ、ドライブ・インに。あの映画、あれこそが俺たちがやりたいことだった。ジェイムス・ブラウン、ブルース、ロック、ああいうもの全部。あれが全てだった、あれが音楽だった -- 特定のジャンルに限らず、とにかくあれこそが「音楽」だったんだ。当時の俺たちはああいったのをやってた。R&B っぽいバンドだ。そういう音楽でデトロイトですごい人気グループになった。実力もあったし、やってて面白かったし、楽しかったね。メンバーは俺とフレッドとウェイン、ロブ・タイナーは後になって入った。それからボブ・ガスパーってドラマーだ。デニス [・トンプソン] とマイケル [・デイビス] が入る前の話さ。俺が抜けた後マイケルが代わりに入ってデニスがガスパーと交代した、1966年頃だな、で奴らは変わっていったんだ、政治的になって、ロックになって . . . 「ハード」・ロックにな、で、何もかも変わっちまった、音楽ではあったけどな。
年取ったマネージャーがいてな、ヴォックスの機材を調達してバックアップしてくれたよ。デトロイトでヴォックスを持ったのは俺達が最初だった、しかもちゃんとしたのを持ってたんだ。
KS: ビートルズみたいですね!
PB: まさしく。そのマネージャーがそういう機材のカネを払ってくれて、スポンサーみたいになってくれたんだ。リンカーン・パーク生まれの男でね。
KS: エミル・バシラのウェブサイトでMC5の初期の写真を見たんですけど、あのビートル・ベースを抱えた痩せた少年があなたですか?
PB: その通りさ。あのちっさなベースはすばらしかったな。ヨーロッパのどっかで生産されてて俺はそれを使ってた。その後フェンダーのベースに換えたらウェインがものすごく怒ってね。おかしな話だよな、奴らはイギリス路線で行きたかったんだよ、俺にはどうでもよかったんだけど。当時それがあいつらのやりたい音楽だったんだ。で、みんな怒っちゃってさ、ほんとにあのイギリス製のベースを俺に持ってて欲しかったんだな、さすがに後になってどうでもいいってわかったみたいだが。とにかく俺はフェンダーが弾きたかった、で、今ウェインが弾いてるのはフェンダーだろ、奴は大笑いしてたよ、「あの時はすまなかったなあ」って。だから「もうどうでもいいよ。」って言ったよ。今でもまだフェンダーを弾いてるぜ。あんた、楽器はやるのかい?
KS: ギターを弾きます。テキサスじゃ誰だって楽器をやるでしょう?
PB: 誰でも少しはたしなむな。どんな音楽をやってるんだい?
KS: 最近はいろんなブルース・バンドとギグっぽいことをしてます。ブルース、ロックンロール、何でもやってますよ。ここに移ってからはカントリー・バンドに入ってますけど。
PB: 俺もそういう感じだよ。オヤジ・プロフェショナルってわけでね、教会音楽をやったから譜面が読めるし、その通りに演奏もできる。フル・タイムでやりたい音楽じゃないけど、まだまだたくさんの人間の魂を清められるぜ。
KS: プレイする場はいろいろありますよね。ブルース・ジャムに参加したっていいし。ところで、ファイブの初期の話に戻りますが、どういう雰囲気のギグをやってたんですか?
PB: 当時俺達がやってたようなギグは「レコード・ホップ」って呼ばれてたね。ラジオがそのままそいつを流すんだよ、四六時中。ラジオをつけるだろ、CKLWとかな、ウィンザー、オンタリオあたりをカバーしてたんだが、あの局はほんとず〜っとMC5を流してたね。
ローリング・ストーンズの前座で彼等のツアーに同行するはずだったことがあった。準備を整えてたらデトロイト有数のデカい新聞の編集者がな、そいつの息子がバンドをやっててさ、俺達をボツにしやがったのさ。デトロイト、トロント、モントリオールをストーンズと回るはずだったんだぜ!それをそのおぼっちゃまのオヤジがさ、第1回目のショーのほんの2、3日前に俺達を降ろしたんだ。ウェインとフレッドは、そりゃもう打ちひしがれてたね!結局俺達は演奏できず、その編集者の息子のバンドがまんまとチャンスをせしめたのさ。俺もほんとに落ち込んだけどね、でもフレッドほどじゃなかった。フレッドときたら、ほんと、自殺しちまうんじゃないかと心配したよ!しなかったからよかったけどな。
KS: でもコボ・ホールでデイブ・クラーク・ファイブの前座を務めたじゃないですか!
PB: そうそう。デイブ・クラーク・ファイブの前座をやったよ。そしたら客にパン屑とか投げつけられてな、「他のショーに行くぞ!」って言われた。こっちもあんな客はお断りさ、だから「他のバンドなんかクソクラエだ!」って言い返した。テリー・ナイト・エンド・ザ・パックといっしょに演ったのも同じ場所だった。あいつらはやがてグランド・ファンクになった . . . マーク・ファーナーのバンドだ。奴らとは何回かいっしょにやったよ。記憶があいまいでね、当時のバンドを思い出そうとしてるんだが。ボブ・ガスパーが生きてたら、あいつなら昔いっしょにやったバンドのこと全部あんたに話してやれると思うけど、俺はあんまりよく思い出せない、俺にはそれほど重要じゃないから。だがガスパーにとってはファイブでのあの経験は人生の宝物なのさ。俺は違う。他にもすごい奴らといろんな面白いことをしたから。でもガスパーは、あいつだったら今ここであんたに当時の思い出をゴマンと語れるよ。ウェインも、あいつも昔の話をたくさんしてやれるんだろう。
69年に除隊してデトロイトに戻ってまたプレイし始めた。譜面の読み書きも覚えてな、またクラブでやり始めた。デトロイトで多少セッションの仕事にもありつけるようになって、それこそが俺の人生の宝物になったんだよ、モータウンのベテラン・ミュージシャンとやるってのがな。レコードに名前が載ってるような人物達といっしょにスタジオに入るのは、そりゃもう興奮したね。で、後になってウェインと連絡がつくようになってからそういう昔のミュージシャンの話をしては盛り上がったよ、「なつかしいなあ!!」って大声で笑い合ってね。
KS: ファイブのメンバーがどういう風だったか話してもらえますか、そういう音楽をやってたティーンエジャーだった頃。僕の個人的印象ですけど、あなたはロック・スターになるってことにそれ程熱意を持ってはいなかったようですね。
PB: その通りだね。俺はあのバンドのごく初期、全てが本格的に始動する前に在籍してた。全く最初の段階に関わってたんだ。だから奴らをまったくの「友達」として知っていた . . . ロブは、いい奴、ほんとにいい奴だったよ。フレッドもだ。フレッドはとてつもなくのんびりした奴でさ、すごいヘビー・スモーカーだった。何にでも、いつでも遅刻してくるんだよ。ショー・ビジネスっぽくな、みんなが自分を待ってるってのがよかったんだろうな。それがフレッドだった . . . いつでも遅れて来る、奴はいつだって誰かにピックアップしてもらいたがった。骨の髄からロック・スターさ。いつだってな。
ウェインは常にビジネス・マンだったね。実利的なんだ。いつもビジネス・マインドを持ってた。いつも礼儀正しくて。フレッドの方は、他の人間がどう思おうと全然知ったこっちゃないんだ。フレッドはフレッドだった。だがウェインはいつだって周りの人間のことを気にかけてた。やさしい気持ちの持ち主なんだよ。決して他人を侮辱しなかった、ほんと他人には優しくしなくちゃいけないよな!ロブ・タイナーはジェントルマンだった、完璧な紳士。他の2人、マイケルとデニスのことはほとんど知らない。単に知り合いってだけだったから。
ウェインはひとかどの者になるって、俺にはわかってたよ。ていうのも、あいつは常に相手の目を見て相手に語りかけて、そして嘘を言わない。そしていつも優しいんだ。奴と話をするだろ、すぐわかるんだよ、こいつは嘘つきじゃないって . . . ウェインは嘘を言わない。真実だけを話すんだ、それも優しい言い方でな。奴を子供の頃から知ってるんだぜ!先週会った時そんな話をしてたよ、「なんてこった!俺達15歳だったんだ!」って。昔と変わらないよ。ウェインには何かがあるんだ . . . 多分オフクロさんの影響だと思う。本当に優しくていい人でね、全身全霊を傾けて奴を育て上げたんだよ、そして最良の結果を得たわけさ。
先週再会して実に楽しかったね。昔と同じさ、ウェインは昔俺を弟みたいに扱ったんだよ、同い年だったけどな。昔と変わらないね、彼は . . . 聞き上手なんだ。口数の多い男じゃない。相手の話を聞く、相手が話したいことを話させる、それでもし同意できない部分があっても相手が言いたい分話させて、そして決して傲慢な態度を取らない。それから自分の考えを少し述べる. . . 16歳の頃と同じさ、そういう風だったよ。
昔ウェインは小さなバイクに乗っててね、小さなヤマハさ、そのヤマハで俺達デトロイト中を走り回ったもんだよ!その話をしたら奴は笑い出した. . . 忘れてたんだな、顔一杯楽しそうな微笑みを浮かべてな。「芝刈りのバイトをした夏休みを覚えてるか?」なんて話もしたね。奴はどっかの大きな工場でバイトしててね。その夏俺は奴のオフクロさんの家のペンキを塗り替えてやったりした。思い出が全部よみがえってきてな、いい時代だったよ。ウェインは前向きな奴だった、今もそうさ。奴は決して悲観的な男じゃない。奴の歌を聴いて「悲観的だ」って言う人間は大勢いるけど、そうじゃないんだ。
ウェインに関してハッキリ言っておきたいのは、俺は65年か66年にバンドを離れたわけだけど、その後俺が奴とコンタクトを取った時はいつも楽しくいい話ができたってことなんだ。あいつはいつだって、「一度こっちに来いよ、話そうぜ」って感じなんだ。いつも親切なんだよ。フレッドもそうだった、奴がまだ普通だった頃の話だが。その後何回か、67年か68年くらいだと思うけど、あいつと目を合わせる機会があったけど、俺が誰だか分からなかったと思うよ、ドラッグですっかりハイになってたね!それからロブ . . . ロブは兄貴みたいだった。
KS: ロブ・タイナーを悪く言う人にはお目にかかったことがありません。
PB: ロブを最後に何回か見た時のことは覚えてるよ。デトロイトのクラブにはいくつか足を運んでたんだが、ある時レッド・カーペットってクラブにロブがソロで出演するのを見に行ったんだ。当時俺はブルース・バンドに入ってた、3、4人編成のブルース・バンドにな。で、とにかくロブに会いに行って、すごく楽しかったんだよ。奴はものすごく親切で優しかった。あいつはいつもそうだったけど . . . そういう男なんだ。思いやりがある奴なんだよ。
KS: 当時ウェインの母親があなた達を音楽の道に進むよう勧めたっていうのは本当ですか?
PB: その通りさ。ウェインのオフクロさんは俺達みんなを家にいそうろうさせ、車でいろんな場所に連れてってくれて -- 黒いコンバーチブルのトップが付いた真っ白なデカいビュイックを持っててな -- 1963年頃かな。彼女はいつだってそばにいて、「これがあんたたちのやりたいことなら」って言っちゃあ手を差し伸べ、いつも支えになってくれた。ウェインにはぺギーって小さな妹がいてその子は目が見えなかった、それからキャシーって妹もいてあの子は12歳くらいだったと思う。あの一家は最初リンカーン・パークのテイラーってとこに住んでて、それからデトロイトのロブソン・ストリートに引っ越したんだ、市北西部のど真ん中だ、グランド川のあたり。そこに俺達、夏中ずっと泊めてもらったんだよ、ウェインのオフクロさんにな。
KS: 他のメンバーの親はそれほど協力的じゃなかった?
PB: 全然。フレッドのオヤジさんは昔ながらのカントリー・タイプの人でね、みんないい人だったけど、ウェインのオフクロさんのようじゃあなかった。彼女は俺達に「モータウンに乗り込んで話をしてきなさい。白人の若いミュージシャンに興味はあるはずよ。」って言ったのさ。行かなかったけどね。モータウンにはレア・アースなんて白人アーティスト用のレーベルもあったけど、パッとしなかったね。俺のオフクロは . . . オヤジはいなくて、とにかく全然無関心だった。俺達は川沿いでバカ騒ぎをしながら暴れ回ってたけど、ウェインのオフクロさんはそんな俺達を夜中の3時に、黙って車で拾ってくれるんだよ。全てを容認してくれたんだ。腹の座った女性でね。誰にも負けないくらい。美容師で、デトロイトのミシガン・アベニューのサーティー・ファースト・ストリートに自分の店を持ってた。自立したママだったのさ。いつも俺達を助けてくれた。
KS: すごいクールなお母さんですね。あなたが在籍してた当時、バンドの音楽的方向はどういう風に変わっていったんでしょう?
PB: 俺はあのバンドが本格的にブレイクする前にやめたからね。俺がいた時はそんなにハードなものはやってなかった。ボブ・ガスパーと俺がいた当時は普通のR&Bバンドだったんだよ。
俺はバンドを離れて66年に入隊したんだが、それは大した転換じゃなかった。俺にとっての本当の意味の大きな変化は、フェンダーのベースを買い、それに対してフレッドとウェインが激怒した時だね。俺はあの小さなイギリス製ベースを手放したのさ . . . どうでもよかった、ってことだろうな。恋人ができて、何も考えずに軍隊に入った。ドラマーのボブの方は . . . 奴はほんとに悔やんでたみたいだった。ずっと後になってから俺に訊くんだよ、「あのままMC5に留まらなかったことを後悔してないか?」って。「全然」って俺は答えたけど、奴は違った。俺にとっては辛いことやブザマな修羅場は全くなかったね。時には前進しなくちゃならないだろ。物事なんでもそれなりの理由で起きるのさ。
KS: 軍隊のことを聞かせてもらえますか。志願したんですね、徴兵されたんじゃなく。
PB: そう。66年に海兵隊に志願して69年に除隊した。ベトナムに行ったよ。
KS: ベトナムのどこでした?
PB: ケサンとかドンハさ。
KS: 激戦地にいらしたんですね。
PB: そうだよ。除隊してデトロイトに戻った時、ウェインにコンタクトを取る機会があって、デトロイトのどっかで会ったんだ。奴は俺をきつく抱き締めてな、ちょうど先週したみたいにな。俺がまちがったことをしたとかそういうことは全然言わないし、俺も俺がしたことの責任が奴にあるなんて全然言わない。それがすばらしいところなんだ。ただ抱き合って語り合った。奴らはその頃すごい人気だったんだぜ!
で、それから数年して、俺があるクラブで演奏してるところにウェインが入って来たんだよ。小さなジャズ・クラブだったが、そこにたまたま奴がガールフレンドを連れて入って来たんだ。奴は俺を見て、持ってるもの全部床に落としてね、それでまた連絡取り合うようになった。70年代のことだ。1970年か71年に俺とウェインとフレッドでミシガン・シアターにシャナナとリトル・リチャードとB.B. キングのショーを見に行ったんだ。
KS: すごい組み合わせですね!
PB: ところが客がほとんどいなくてね、宣伝が足りなかったんだな。あのデカい劇場に100人くらいしかいない。俺達は後ろの方に座ってショーを見てた。そしたらリトル・リチャードが現われて、俺達のとこに腰掛けるんだよ!俺達のそばに来てさ、いっしょにシートに体を埋めてB.B. キングを見たよ。彼はまだ例のケープをつけたままでだぜ!俺達と30分くらいしゃべって出てったよ。ウェインとフレッドと出かけたのは多分あれが最後だったね。
KS: ボブ・ガスパーはファイブを離れた後何をしてたんですか?
PB: カントリー・ミュージックをやってたね。デトロイトでちょっと有名なカントリーのミュージシャンがいて、そいつとやってたんだ。そいつは実際ウィリー・ネルソンとすごく親しかったんだよ。で、ボブは死んじまった。知らなかったんだ、死んだことを。で、奴のとこに行ってオフクロさんや親父さんに会って話を聞いて来たよ。
2年くらい前にサン・アントニオの書店でね、大きな分厚い本を見つけた。題名はちゃんと覚えてるぜ、「ロック大全集」っていうのさ。俺はそれを手にとって「ちょっと見てみるか、少なくともいっしょにプレイしたことがある人間が少しは載ってるに違いない」って、めくってみた。つまり今まで大勢のミュージシャン、特にモータウンのプレイヤーと演奏したことがあったし、俺はモータウンのベーシストから学んだわけだし。で、後ろのインデックスを見てたら見つけたんだよ、「パット・バロウズ」ってさ!思わず笑い出しちまったね!で、そのページを引いてみると「MC5」って項があってその説明が書いてあるんだよ。めんくらっちゃったね。誰か知り合いの名前があるかもと思って見たら自分が載ってたわけさ!10冊くらいその本を買ったよ、1冊2ドル50セントだったから、ハーフ・プライス・ブック・ストアーでさ。で、知り合いの奴らに送ってやったよ。あの本知ってるか?
KS: ええ、よく調べてあると思いますよ。
PB: 女房に言ったもんだよ、「俺はポール・マッカートニーと同じページに載ってるんだぜ!」って。今でもほんと、笑えるよ。
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